トピックス   梓澤和幸

取材源秘匿をめぐって

  アメリカ食品会社の加算税納付をめぐる裁判で、東京地裁と同高裁の判断が分かれた。
  一般に言われているコメントとは別に、私見を述べたい。

  第一に、私がこの件でまず注目したのは、外資の、日本の報道への敏感な対応である。
  毎日新聞が一面トップで、はげたかファンドの地上げに、暴力団が絡んでいたとの記事を掲載し、 ニューヨーク連邦地裁に1億ドル(約110億円)の損害賠償をおこされた事件を想起させた。
  5月 1日施行の商法改正では、施行が1年延びたが、 時価総額の高い外資経営の会社による日本企業の買収を容易にする 「三角合併」 という手法がある。 A社がB社を買収する際に自社の株式を出す代わりに、第三者の株式を利用できることとするのである。 これによって外資による日本企業への M and A 攻勢が進むと思われる (アメリカ政府の年次改革要望に三角合併のための商法改正を施与という要望が必ず書かれている、という)。 郵政民営化のあおりで証券市場に流出する庶民の貯蓄資金を対象とする外資と、市民との角逐 (かくちく) をめぐる報道、 それに対する外資の反応に注目する必要があるだろう。
  この食品会社の事件でも、日本でなされた報道について、 情報が報道機関に漏洩したことにアメリカの会社が怒ったという点が重要である。

  第二は、取材源秘匿、何のために、という原理的問題がある。
  東京地裁判決は、公務員の守秘義務違反という犯罪行為への取材側の加担を座視できない、とした、という。 この公務員は、公益のために、つまり、この情報が何百万人という市民に、いちどきに伝達される、ということの正義のために、 守秘義務を犠牲にしたのである。
  ここでは、憲法21条、国際人権条約(自由権規約)19条に保障された表現の自由、知る権利という法益と、 行政の秩序維持という法益が衝突しあっており、裁判所の適正な利益衡量が期待された。
  東京地裁は守秘義務に、東京高裁は知る権利に、はかりの比重をかけたわけであるが、どう考えるべきか。
  もし、東京地裁のように考えると、守秘義務がある公務員が業務上どれだけの不正に遭遇しても、それを公の目にさらすときは、 いつでも刑事罰を覚悟しなければならず、取材記者はつねに国・地公務員法違反の共同正犯、 教唆犯としての問題を覚悟しなければならないことになる。
  取材源の秘密はなぜ守られるべきか。それは次の取材がやりにくくなるといった軽い便宜的な表現で語られてはならない。 投獄されても、拷問されても、死んでも、守るという記者たちの倫理の価値を、私たちジャーナリズムの素人が哲学的に深めるべきだと思う。
  ジャーナリストは人民の斥候兵とか、環境の監視役とか、いわれる。膨大な人口を擁する近代市民社会が社会として成立するために、 ジャーナリズムはそして人として生きる個々のジャーナリストは、光栄ある位置を占める職業であり職業人なのである。情報という血液を、 とくに権力(ハーバーマスのいうシステム)の隠蔽する情報をジャーナリストは市民に弾雨をかいくぐって届けるのである。

  民事訴訟法で職業上の秘密により証言拒否が許される場合があるが、ここに語っている文脈でみるとき、 まさに取材源の秘匿こそ職業上の秘密の典型例といえよう。

  第三は、地裁のような判断が出てくる背景である。
  裁判官の中に、ガスのように充満しているマスメディア弾劾論、マスコミへの反発である。マスメディアは、自分の取材上の都合、 不都合をならすだけでは足りない。または判例理論をもって対抗するだけでは不足である。
  メデイアはいかなる意味で、理念的にも、実際的にも、公共性のために貢献しているのか、を実例をもって明らかにする必要があろう。
  必要な多弁をもって。