トピックス   梓澤和幸


加害への加担 (2006年7月31日)


   陸上自衛隊の撤収、のニュースに接した初めての印象は読者にどんなものだったか。
  戦地から死者も怪我人もなく引き揚げて来るのだから、これほどいいことはないだろう。
  初めての海外派兵部隊が外地から日本に引き揚げるのだからいいことじゃないか。 ということがとりあえずの印象として胸に浮かぶであろう。   だが、そうなのだろうか。

  イラク特措法には、1.復興支援と、2.多国籍軍の安全確保支援の二つの柱がある。
  今度の陸自撤収によって、1の柱が除去され、2の柱だけが残された。残されただけでなく、 この柱がより太くなったということが見逃せない。

  具体的に言うと、C130という航空自衛隊の輸送機で、 小銃を持った米兵をクウェートからイラクのバグダッドおよび北部に運ぶ任務が拡大されるのである。
  すでに二〇〇四年一二月八日の共同通信は、空自が一二〇〇人の武装米兵をクウェートとイラク間で輸送していたと伝えている。
  この時すでに一二〇〇人であり、このたびの陸自撤退が空自任務の拡大だというのであれば、 日本はよりいっそう在イラクアメリカ軍の軍事行動に深く組み込まれることを意味する。

  在イラク米軍と、イラク武装勢力との軍事衝突は混迷を深めるばかりである。
  つまり、これは戦争である。これから戦争がやってくるのではなく、今が戦争なのである。
  ヒズボラ殲滅をターゲットとするイスラエルの空爆は、今日も五七人の市民の犠牲を出した。 ヒズボラの後ろには、イラン、シリアがいるといわれる。
  イランの核開発疑惑をめぐる緊張の激化、拡大、アメリカの先制攻撃論もある。

  C130 はファルージャの虐殺に向かう米兵を運んだかもしれないのである。
  こういうときこそ、中東で白人とは違う印象を受けてきた上、憲法9条をもつ日本の国際的役割は大きい。
  陸自安全撤収、よかったよかったの声の陰で、戦争の一方に加担し、危険な道をずるずると引き込まれていくこの道は、 どこか、柳条湖事件→満州事変→日中戦争の拡大→対米英戦争と悲劇に巻き込まれていった歴史と、よく似ていないだろうか。

  どこがといって、私たちの鈍感さである。その鈍感さを作り出すメディアの鈍感さである。
  ジャーナリストは、人民の斥候兵でなければならない。
  斥候兵は、被害者の痛みを我がことのように、我が家族のことのように、感ずる感受性をもつべきだ。
  その共感能力が鈍ったとき、自分が「世間」の風に慣れたときは、音を立ててペンを折れ。

  Think always of Israeli air strikes against innocent citizens in Lebanon.
  Check your compassion, at any time. If you realize that you have lost it, quit your job immediately.
  With my best regards to my colleague journalists and lawyers.


  (後注)
  もう空自はバグダッドに乗り入れたという報道がある。→ 中日新聞