トピックス   梓澤和幸


日弁連 和歌山人権擁護大会 「表現の自由シンポジウム」から


  11月5日、日弁連人権擁護大会表現の自由シンポにコーディネーターとして出席した。 市川正人教授、神保哲生氏、江川紹子氏ほかのパネリストの方々の主な発言内容は別にパネリスト発言要旨メモとして載せさせていただくが、 それとは別に少し考えさせられる論点があったので記しておきたい。

  パネリストの一人、江川紹子さんがやや衝撃的な発言をされた。
  要旨次のようなものだ。「立川テント村事件 は、 自衛隊の官舎にビラを撒いたことが住居侵入とされて逮捕・起訴された事件である。 表現の自由からこの公権力の措置を批判することはわからないでもないが、ビラを撒かれる側の嫌悪感や不安を念頭に置いて問題を提起してもらいたいと思う。 会場の中から私の発言に同意できないという雰囲気も感ずるが、私はオウム事件の頃、生命の危険にも晒されており、 もしあの当時オウム教団の信徒の人々からビラを撒かれたときにどう思うかということを考えると、 表現の自由を守るべきだという一直線の論理だけで足りるのだろうか、と言わざるを得ないという内容だった」 ように記憶している。

  会場からの質問ペーパーには、それでは刑事弾圧を江川さんは容認するのですかという反応があった。 憲法研究者の市川正人教授は嫌悪感があるからと言って直ちに刑事的規制とはいかないと思うと反論された。
  この論議の経過に対し、憲法・言論法の大家、清水英夫教授はフロアから厳しい調子で簡潔に発言された。 「ビラ撒き等大衆的表現の自由に対する刑事的規制はあってよいのかということに対し、パネル討議は不十分であるので不満足を感ずる」 との鋭い指摘であった。

  コーディネーターは司会担当であり、なるべくニュートラル(中立)でなければならない。しかし、高齢をおして東京から和歌山まで来られ、 5時間黙って聴衆のお一人として壇上の討論を聞かれ、この肺腑をえぐる質問をされた先輩教授の情熱とエネルギーには思わず胸をつかれ、私は次のように発言した。

  「表現の自由の大切さを思えばその規制は最小限でなければならない。ビラに対しての刑事規制はたとえ住民の安全・安心を背景としているとしても許されない。 立川テント村で75日間も身柄を勾留した令状裁判官の責任もきちんと実名をあげて批判されるべきではないのか。 裁判官は種々の利害関係を考慮したうえ公権的判断をする立場にあるが、その公権的判断も憲法という規範の下に置かれているのだから、」 と。

  松本、地下鉄サリン事件や9・11以降、安心・安全を背景とした人権の抑制の傾向はあらゆる方面で強まっている。 ならば、江川さんと清水英夫教授の出された問題提起を念頭に置きながら弁護士・弁護士会は、表現の自由の内実を哲学的に鍛え上げ、 胸にしみこむような説得力、つまりは表現の自由という思想の力を獲得しなければならないのだろう。 考えさせられたという決まり文句でまとめるにはあまりにも深刻な内容であった。

  和歌山から帰宅した翌日の朝刊に、シンポでご自身の逮捕、勾留、起訴、 有罪判決の体験につき発言された葛飾政党ビラまき事件の被告 荒川庸生住職の事件につき次の報道があった。
  それは判決の期日がいったんとりけされたが、あらためて11月30日に指定されたということである。 高裁でビラまき有罪と出ているから、弁論をひらかないままの判決指定は高裁の結論の維持かもしれないというのが記事の内容であった(朝日新聞 11月7日朝刊)。
  荒川住職の発言の中に、第2次大戦中、反軍ビラの故に治安維持法で逮捕、勾留されたご婦人の歌が紹介されていた。 獄中で懐妊を知ったという女性の和歌である。

    父母に愛もてだかる と思うな わが子よ 汝(な)はプロレタリア ぞ

  104歳で大往生をとげられ、荒川住職が葬儀を執り行われたという。