トピックス   梓澤和幸

  平和安全法制って何だ
     ──安倍政権の狙いと戦争をさせない私たち──


  法の条文を読むのに脂汗が出るほど分かりにくい。前にもあった。そうだ特定秘密保護法のときだ。
  タイトルが最悪である。「戦争法案」 がレッテル貼りだ、という。少なくとも、武力行使の権限を拡大することは間違いないのだから、 「武力行使権限規制法案」 くらいにしておいたらどうか。
  いずれにせよ、タイトルからして、ことの事実を知られたくない狙いが露骨である。
  条文をくり返し読んでみた。起草した人々(偏差値大学の卒業生である)の苦労に感嘆した。 知らしめない苦労。これが第一の感想である。立法技術の勉強がどうもよくない。
  整備法は10の法律案を一つにまとめているが、核心は武力攻撃事態法の改正である。 物事が分かりにくいときは、物事の環をつかまえて引っぱり上げる、とよろしい。いろいろ並んでいるが、ここである。
  なぜそう言えるのか。
  ここが、日本国憲法9条の改正だからである。改正手続を経ることのない改正だからである。
  憲法とは、暴走性を内在させている公権力の暴走ストップ装置である。 議院内閣制では議会で多数を占めた政党の推薦を受けた政治家は、内閣総理大臣となり、検察、監獄、裁判所のトップを任命する。 多数派が権力を掌握する。権力は暴走する。それは、今の日本では証明を要しないであろう。
  そこで近代の思想家たちは、立法、司法、行政の三権分立と、人権を保障するために国家はある、という思想を提唱した。
  それでも、なお憲法を蹂躙する政治家と権力者はいる。これまた証明を要しないことである。
  このような政治家にストップをかける思想がある。立憲主義である。難しい響きがあるかもしれないが、実は東京都知事の舛添要一さんの著書に書いてある。
  「憲法とは、国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するものである。 近代立憲主義憲法は、個人の権利、自由を確保するために国家権力を制限することを目的とする。 (略) つまり法によって権力を拘束するのである。」(舛添要一著 『憲法改正のオモテとウラ』 講談社現代新書 2014年 3頁)
  これを守らない公権力を、人民は打倒することにおいて正統性を握っている。
  それは抵抗権である。