エッセイ     梓澤和幸

子どもの唄
(2005年7月4日)

  あれは何の唄だったのだろう。
  大掃除の日、生徒たちの木製の小さな机は、陽が差して来る南側の窓ぎわによせられていた。 学期末のこの日になると同じクラスのA君は机の上にあって腰に手をあて、窓の側から教室の内側に向かって唄いはじめるのだった。
  すでに書いたのでくりかえしになるが、私は群馬県桐生市の小売商の家に生まれた。
  本町通りと呼ばれる商店街に面した繊維用品を扱う店だった。 日本橋ででっち、手代、番頭と修行を積んだ父が、東京から汽車でゆられて三時間の地を選んだのは、 問屋さんの商いのお得意さんの紹介だったのだと聞いた。

  その家から西に向かってジグザグの路地を二キロほど歩いたところにその学校はあった。
  この文章を書いている最中、駅から自宅に向かうとき、涼しい風にあたりながら歩いているうちに、ふと歌が口をついて出た。

  もとの歌手は、鼻先で軽くうたう。

  花つむ野辺に 日はあああはあおーちーて
  みんなはあで (みんなで) かあはーたを (肩を)
  よせはああって (寄せあって)
  ふうたを (歌を) ふうたって (歌って)
  かえりみいひいいち (かえり道)
  幼ななじみの あのひゃま (山) このひゃま (山)
  はあはあはああ たれかこきょうをををーを おもはざる

  誰か故郷を思わざる──(故郷を思わない人は誰もいない)

  あの同級生の男の子は、有名な歌手とは違ううたい方をした。 よせられた机の上に仁王立ちにたって、首筋に血管がうき出るほど、のどに力を入れ、ばん声をはりあげ、豪快にうたった。
  誰も聞いていない。孤独に、そしてやけくそな調子で、いつまでもくりかえしこの歌をうたった。 豪快なうたいっぷりだが、どこかさびしさがにじんでいた。
  ざん切り頭で、唇が厚く、女の子たちにはこわがられていた。何だかいつも顔が汚れていた。頑丈な体つきであった。

  夏休みに入った。
  国鉄の両毛線が、本町通りを交差する踏切につきあたり、そこから左にまがって線路ぞいの道を西に何百メートルか歩くと、 駅にいちばん近い踏切があった。
  そのすぐ手前の左側に、平屋建ての二軒長屋があった。トタン葺きだったが、さらにひさしが出ていて、そのひさしも黒トタンだった。
  木造のその長屋は子どもの眼でみても、いかにも生活に苦労しているようすであった。
  その家がA君の家だった。
  級友の家だが、家のたたずまいは訪問者を峻拒しているようで、声をかけるのがためらわれた。
  ある日、その家の近くを歩いていた。路地をまがった。突然、リヤカーをひく子どもと出会った。 顔いっぱいに汗をかいていた。A君だった。
  「おう」 とおたがいに言うと、A君はリヤカーの把手をにぎったまま立ち止まった。
  少し恥ずかしそうな、てれたような目をした。おたがい何も言わなかった。だが、すぐに事情はわかった。
  小学校三年だった。だが、子どもの感性は一瞬にして全体を悟るのである。
  歯を見せて笑うと、A君はうしろの台に、いっぱい荷物を積んだリヤカーをぎしぎし音をさせながら、 ぼくがやって来た道を進んで行った。
  ランニングシャツのうしろは汗でぬれていた。ぼくは、A君の姿が見えなくなるまで見おくっていた。

  こんな話もあった。
  雨が降った朝のことだ。市内を流れる渡良瀬川の水はいつも青く見えるのに、白く濁った。
  この川と、本町通りが交差する箇所に、鉄骨アーチ型の橋がかかっていた。錦王橋と呼ばれていた。
  その橋のすぐ近くに住んでいたC君の姿が見えない。出席をとる五〇代にさしかかって、 いつもみんなに気合いを入れるタイプの、女の先生の表情が一瞬くもった。教室は一瞬シンと静まりかえった。
  みんな、いたわるように何も言わない。C君の家には子どもが学校にさしてくる傘がなかったのだ。


  私は小学校六年のとき、桐生から水戸に転校した。
  転校後間もなくのことであった。

  「李君、うたって」
  「そうだ、李君のうただ」
  七、八人、すわっていた男女の生徒が一瞬目を輝かせて拍手した。
  転校したばかりの私にはそれはとても不思議な光景であった。
  李君は、てれることもなく、さればといって得意そうな顔をするでもなく、 何だか、当然の役まわりをあたえられた役者さんのように、ピンとはった丸いほほを赤らめると、 ちょっと微笑して立ち上がった。一人の女の子が声をかけた。
  「李君、“線路のうた” だよ」
  「うん」
  少しキーの高い声で、李君はこたえた。
  さっきまで差していた陽も少しおちて来たようだ。少しだけ、影がさした教室に李君のボーイソプラノの声がよく通った。
  「線路のしごとはー。苦 (くーる) しいが、ー」 「線路の仕事は、はてがなーいー。ー」
  「汽笛のひびきがなりわたれば、親方はさけーぶー。ふーきならせ」

  聞いたことのない歌だった。
  歌い手がいて、聞き手がいる空間。とりわけ、マイクを使わない歌声とは、歌い手の声のことではなく、 そこに成立しているおたがいがうけいれあっている、ここちよい空間のことだ。
  生徒たちは、李君の声に聞き入りながら、そのおたがいの関係に身をゆだねるのだった。
  そのあと、どうやってみんながその場を離れたのか記憶がない。
  李君は礼儀正しく、品がよかった。ソコクという耳なれないことばを使った。その瞬間の、誇りに満ちた表情が印象的だった。
  子どもたちの中に差別や、いじめなど全く入る余地もなかった。誰の家でも親たちは必死に働いた。 そしてどの家もそんなに裕福とはいえなかった。