エッセイ     梓澤和幸

い の ち

    韓国の抵抗詩人、金 芝河 (キム ジハ) は軍政下、大地に 「民主主義」 と書いて、手のひらでなで、涙を落としたという。
  いま私は、「人は生まれながらにして自由で平等である」 (フランス人権宣言) という言葉を読んで心がふるえる。
  75歳からは特別に保険料を取った上、医療にも特別の制約を加えるのだという。
  およそ晩年とは、人の一生にとってもっとも大切なときを、尊厳をもって全うすることで人は人類の全体に対して、命の重さを課題を残すからだ。歴史を作るのである。
  大切なときを蹂躙することによって、官僚と議員たちは自分をおとしめる愚行を重ねている。
  怒るより悲しんであげた方がよい。はるかに相手を乗り越えている方がよい。

ときめき通信 No.39 (2008.1.22) 掲載



一つひとつの時

  冬の晴れた日の午後のことであった。都心の公園の池のところにさしかかると、 三〇年来の旧友が水面の方向を見かけている姿が目に入った。鴨が七、八羽、実にのんびりと泳いでいた。
  友人が指差す方を見ると、水面に向かって伸びているモミジの枝が日に射しかかってきているのが目に入った。
  黄、だいだい、緑、茶と、ありとあらゆる色彩で彩られた葉は、あたかもすりガラスのように向こう側から差し込んでくる光線を反映して輝く色を放った。 だが、その輝きは太陽光線の動きとともに一瞬にして消えた。言葉もないままその光景に見入った。
  「こういう時がないと生きているという実感がなんだかわかないんだよな」。そういう旧友の言葉には何か切実な響きがあった。
  晩年は晩年にあらず。それは「人生という作品」を完成させる最も大切な時 (とき) を言うのだと考える。
  これこそは私の時間だ、と言える一つひとつの時 (とき) を大切にしたい。

三多摩健康友の会 国分寺支部ニュース
 No.138 (2008年1月10日) 掲載