エッセイ      梓澤和幸

書評 『表現の自由を求めて』 奥平康弘 著(岩波書店刊)



  日本国憲法の第9条、ドイツの基本法の難民庇護権条項に相当するのが、 アメリカ合衆国憲法の表現の自由現送 (修正第1条) である。
  それなくしては、アメリカという国の成立ちを考えることはできない。 しかし、表現の自由とは何か、その外縁、働きは、直ちに自明ではない。 それらのことは歴史のつみかさねの中で市民の闘いによって明らかにされたものなのだという。 サブタイトルにあるように、権利獲得の軌跡をたどることによってこそ、表現の自由の働きと力を明らかに出来ると著者は考えた。 アメリカの歴史をたどったのには理由があった。それは、市民の自らの闘いによって、 自由を獲得した長い歴史をもつ典型的な国だからである。 著者はその軌跡が日本の自由の到達している地点とその不足をも明らかにするとも考えた。 まだアメリカがイギリスの植民地であった頃、植民地総督を誹謗した記事を掲載したとしてゼンガーという市民がとらえられた。 本書は八ヶ月も勾留されて闘った新聞発行人の裁判からはじめる。
  治安妨害煽動罪の構成要件からすれば、ゼンガーの有罪は免れそうもなかった。 しかし、法律に書かれた条文にない、出版の自由という概念を用いて、ゼンガーとその弁護人は無罪を獲得する。
  その当時出版の自由は、検閲されない自由を意味するにすぎなかった。 出版後、刑事法にふれれば処罰されてもやむなし、とするのが検察官と裁判官の常識だった。 しかし、弁護人の弁論と陪審制度の存在、そして、ゼンガー本人の苦闘は、 その時代によって固定されていた出版の自由概念をのりこえたのである。 「出版の自由」 を 「絶え間なく将来に向かって展開してゆく発展的なもの」 と把握する (32項) 指摘が、 深く力強い響きをもつ。こうして本書は、1700年代前半、つまり250年以上も前の自由をめぐる闘いからはじまる。
  だが著者は、歴史に忠実であって、決してその後のアメリカの報道の自由、 あるいは、さらに広くこの国の自由の歴史についてオプティミスティックではない。 とくに第1次世界大戦前後のアナーキズム、共産主義抑圧に猛威をふるったスパイ防止法、マッカーシズムによる知識人、 公務員への赤狩りの惨劇と市民の闘いを詳述している。 市民の闘いを反映させ、自由の歴史をきざむ法律家の叙述が魅力的である。たとえば──
  「もちろんこの新しい歴史が二人の裁判官によって作られたなどと言うべきではない。 むしろ時代を生き時代を作った、名もなき多くの人たちが、ホームズ、ブランダイズのように最高裁裁判官という要職にあり、 発言力のある人びとの共感をかちとり、 自分たちの権利擁護のための代弁者として 「表現の自由」 法理を語らしめるに至ったのである。」 (138項) ラーケットハンドという裁判官は、自由主義的な哲学思想を十分に身につけ、 そこから出て来る一種の懐疑主義的な傾向によりつつ、公権力の限界ということを自らの思考により深刻に考えぬくタイプの、 稀に見る裁判官であった。 (137項)
  暗黒の時代をくぐってアメリカは、1960年代という大変革の時代を迎える。 表現の自由は、アフリカ系市民の尊厳をかけた闘いと出会う。 ニューヨークタイムズ社、サリヴァン事件では公務員への批判的記事掲載の自由を飛躍的に拡大する。 またベトナム戦争下では、メディアは政府による戦争に関する報道の差し止め (ペンタゴン文書差止め事件) に、 市民は、徴兵令状焼却、国旗焼却事件 (ジョンスン事件) に勝利する。 それは歴史によって形作られた報道の自由概念によるところが大きかった。
  本書は、これらの事件を含む実に多くの裁判をとりあげ、まがりくねった小径にわけいりながら、 表現の自由とは何か、そしてその力とはいかなるものかにせまって行く。およそ真の著述というものは、 個人の楽しみや利益をこえた大いなる目的のために行われるものであろう。
  権力と市民の双方から監視、批判、糾弾をあびて焦慮にかられる良心あるジャーナリストは少なくない。 日の丸、君が代をめぐって現場に呻吟する教師、学生も多数いるだろう。
  しかし、困難な現実におかれたとき、歴史によって鍛え上げられた理想は必ず力をもつものである。 本書は、そのように 「暗夜に希望を求める」 人々のために書かれ、そのことに成功した。

  〈いま考えること〉
  イラク戦ののちに、この原稿を読んでも変更の必要を感じない。
  マッカーシズムから十年で、アメリカは、1960年代変革をむかえた。
  アメリカも、世界も、また大きな動揺を通じて、しかるべき道にもどるだろう。
  小さな穴を掘っているかのような、弁護士の日常もやがて大きな流れにつながって行くのだ。