エッセイ     梓澤和幸

民事も命懸け


  企業が倒産すると、取引先は必死になる。債権の回収に失敗すると自分の所も共倒れになりかねないからだ。
  袴田さん (仮名) は建材を建築業者に収める仕事をしていた。依頼の趣旨は取引先に倒産の兆候があるので、 自分の持つ1000万円の債権を確実に回収して欲しい、ということであった。
  袴田さんの収める建材が輸入物で当時は珍しいものだったので、 その業者は仕事を持続してゆくために自宅に抵当権を設定することに同意した。
  私鉄のある駅を下りて5分ほどの所に、鹿山という不動産業者の店舗があった。 この鹿山はA社の取引先の業者が作っている親睦会の会長をしていた。
  A社は必死の努力にもかかわらず2回目の不渡りを出してしまう。
  鹿山は下請け何社かの債権と自分の下請け債権を一緒にしてAと交渉し、 時価5000万円の社長の自宅を売却して売掛金の回収にあてようとしていた。
  私の依頼者が設定した抵当権をそのままにしては、鹿山とその束ねた債権は回収できないので、 鹿山は抵当権をはずせという事を袴田さんに要求してきていた。しかし袴田さんはそれを突っぱねた。
  袴田さんのところには不審な無言電話や、おどしの電話が入っていた。
  ある日、鹿山から私の事務所に電話が入った。
  「先生、お互い突っ張っていてもしょうがない。折れ合えるところで妥協しあいましょう。 こちらも大胆な提案をさせてもらいますから、おそれいりますが今度の日曜日私共の事務所までおいで頂けませんか。」
  袴田さんの家族の安全のこともある。ある程度は債権の回収率がさがっても仕方がないと思いながら、 私と依頼者は鹿山不動産のビルに向かった。
  交渉の約束は午後5時からだった。もつれにもつれた交渉は8時過ぎまでかかった。 その建物は4階建てだったが、交渉の行われた部屋は2階の応接間だった。 壁にきれいな茶色の化粧板をはったその部屋の清潔な様子は、鹿山不動産の盛業ぶりを物語っていた。
  鹿山という社長は顔の色つやも良く、高そうなストライプの仕立ての上下を着て、胸のポケットには赤いハンカチがさしてあった。 髪の毛をしっかりとかしている。
  要するに商売はうまくいって、自信に満ちた雰囲気がいっぱいというわけだった。
  鹿山は抵当権をつけたのは抜け駆けだから、まず抵当権をはずして欲しい、その上で配当割合を決めようじゃないか。 取引も長いのだから信用して欲しい、というのだった。こちらはせっかくの優位を譲りたくない。 抵当権をつけた2千万円にこだわらないが、それに近い金額を回収させてもらいたいという線で、 どちらも譲らず、堂々巡りの話し合いとなった。
  7時を過ぎた頃、作業着を着た一人の男が入ってきて何か鹿山に耳打ちし、鹿山がうなずいていた。 1〜2分で男は出ていった。
  「どうですか。先生、やっぱりまとめましょうよ。ほかの業者もさ殺気だっていておさまりがつきませんよ。 袴田さんだって、いつまでも同業者からうらまれるのもいやなことでしょうし。こちらも物騒な話はきらいでね。 力で応援をしてやろうか、っていう筋の申し入れもあるんだけど断るんですよ。 そういう連中は後が尾を引くからねえ」 という意味のことをおどけた調子でいうと、鹿山は声を立てて笑った。
  応接間の外は小さなテーブルがいくつか並べられ、休日の夜のせいか、 不動産を探しに来ている客がいっぱいになっている明るい部屋につながる廊下になっていた。 応接間の外に出て私と袴田さんは小さな声で相談したが、結局、鹿山の要求を突っぱねることにした。 結論を伝えると、鹿山は 「それはしかたがないですなあ。まあこれはお願いですから、 聞いてくださらないのならやむをえませんが」 と言って大きくため息をつき、こちらからどうぞといって裏口を指し示した。
  その階段は3、4階の部屋につながっていて、客は使わないようだ。袴田さんと私は交渉を振り返りながら、 まあがんばり続ける他はないな、などと言いながら階段を下りた。
  階段を下りきったところに、ステンレス製のドアがあった。ちいさな蛍光灯がついて半坪ほどのたたきを照らしている。
  ドアをあけると、十人ほどの男がふわっとちらばって立っていた。一様に黒っぽい格好をしている。 それは無造作にたばこでも吸いながら、ただぼんやりとたたずんでいるといった様子だった。と急にその男たちが私に殺到した。 3人の男が私の体を担ぎ上げた。体が水平になると、重さが感じられなくなっていた。
  ビルの入り口まで7〜8メートル、裏口の階段の長さは2階まで10メートルほどだったか。 4階まで階段が薄暗く続いているのが目に入った。
  男たちが 「4階だ。4階だ」 と言っている声が耳に入った。
  2階の扉の真鍮色の把手が目にはいる。抵抗せずに力を抜き、男たちが歩くごとに体を揺らせるのに自分の体も任せていた。 要するに一切抵抗しないことにしていた。
  あわてていない自分とこの場の情景を、妙に客観的に観察しているような心境だったことを今でも覚えている。
  男たちは体重72キロの私がさすがに重いのか、小さな声でみこしをかつぐようなかけ声をかけているように見えた。 二階の踊り場にさしかかったとき、私は体中にためていた力をはじかせるように男たちを振り切り、 2階の把手につかまりそれをねじって扉を開け、 「社長、これはどういう訳だ」 と大声で叫んだ。意識的に悲痛な声を出してやった。
  あかるい照明の大きな部屋のあちこちで、鹿山の経営する不動産業の客に店員が応対している。その中に鹿山もいた。
  鹿山が2階の入口まで飛んできた。緊張してあわてた顔をしている。
  いつの間にか私は立ち上がり鹿山とむきあうようになっていた。 お客の手前、こんな暴力的な場面はまずい、というのが鹿山の弱点になっていた。
  「いったい、どうしたんですか。私は知らないことだが」 と鹿山。
  狭い場所に私を担いできた男たちと、私と鹿山と下の別な階段から上がってきた袴田さんとが立ってにらみあうようになったため、 その場に5枚ほど見本としておいてあった瓦が倒れて、私の右足の甲の上に倒れて大きな音を立てた。
  「知っていたとか、知らないとか、そんなことはあとでいい。私たち二人を安全な状態で返してもらいたい」
  「それは勿論そうします」
  私には、鹿山に袴田さんが抵抗して抵当権をはずそうとしないのは、 私がいるからだと見た鹿山の仕組んだことに違いないと察しがついていたが、今ここでそれを追求するのは得策ではなかった。 あの黒っぽい服装の一団がビルのまわりにいる以上、私も袴田さんも無事には帰れない。 ここはこの広い部屋のテーブルを埋めている客を前にした鹿山の弱点をついて、 彼に私たちの無事帰還の指揮をとらせることだと思った。
  しかし、目の前でその指揮を執れと言うのは彼に自白を迫るようなものだ。
  私は袴田さんの袖をつかみ合図を送り、鹿山社長を一人にしてやることにした。
  別の部屋から戻ってきた鹿山社長は 「私が駅の交番のところまでお送りします」 と言い、 5分ほどの道のりを一緒に付いてきてくれた。
  駅まで3人とも何もしゃべらなかった。目を伏せるようにして挨拶すると鹿山は帰っていった。
  勝利感は無かった。あまり光のあかるくない電車の車両で、袴田さんと私は言葉も交わさなかった。 私は別れ際に見せた鹿山社長の笑顔の中に見せた一瞬の厳しい視線のことを考えていた。 このままでは終わらないだろうな、という予感がした。
  しかしこの事件は倒産会社の社長が自宅を売り、銀行の借金を引いた後、 袴田さんの債権の支払いを受けること、残額を鹿山が束ねた債権の支払いに充てることで終わった。

  何ヶ月かたって、朝早く自宅の電話が鳴った。袴田さんからだった。
  「鹿山から、正確にいうと鹿山のもっている建築会社から裁判を起こされました。金額が大きいんです」
  「いくらですか」
  「3千万円です」
  「訴状ではどんな理由をあげているんですか」 「それより先生時間をとってくっださい。事務所にうかがいますから」
  会話からせっぱつまった様子が伝わってきたので、その日午後の予定を変更してあうことにした。
  事務所で訴状を見せてもらうと、請求の理由はこんなことだった。 袴田建材は鹿山の持つ建築会社からビルのガラス設置工事を請け負っていた。 途中、工期の遅れをめぐるトラブルと交渉があった後、袴田さんが書いた確認書の工期より30日遅れたこと、 その工期に遅れたときは、1日あたり100万円の遅延損害金を払うという約束をしたのだから、 その約束に基づいて一日当たり100万円。30日あて3000万円払えと言うものだった。 訴状には袴田さんのサインした確認書のコピーがついていた。
  私は何ヶ月か前のあの倒産劇のときの一件を思い出した。特に解放されて帰るときの電車の中の光景がよみがえった。
  鹿山社長が血色のよい顔で哄笑している様子が目に浮かんだ。
  袴田さんは緊張した顔で聞いてきた。
  「どうですか」
  民事訴訟への誤解がある。一枚の証文があったらもうダメだという。確かに証文一枚で徹底的に苦しめられはする。 この訴訟もその一例ではあった。
  しかし大切なのは人と人が織りなす物語である。原告と被告のどちらの提出する物語が説得力があるか。 証文は双方の物語のどこにどのように登場するのか。そこが問題である。そこで事情を詳しく聞いてみた。
  確認書はたしかに袴田さんが署名しハンコをおしたものだ。
  しかしそれは袴田建材として本当の意思を表したものではなく、鹿山建設が元請けにみせるためのものだった。
  どうしてうその書類にハンコをおすはめになったか。
  鹿山建設は袴田建材に特殊な強度とデザインのガラスを使う設計を出してきた上、何回もの設計変更を伝えてきていた。 材料がヨーロッパからの輸入物だったため工期に問題が出た。 途中、約束通りの期限にはとても間に合わないところから袴田建材は期限延長を申し入れていた。 鹿山建設の担当者はそれを承諾していた。
  しかし工事が10分の9まですすんだところで、急にもとの請負契約の期限にしあげてほしいというFAXが入った。
  袴田さんの腹心の専務、設計部長は血相をかえて鹿山建設の工事部長とかけあったが、 鹿山建設は注文主からの催促もあって、工期は送らせるわけにいかないのだという。
  出向いていった袴田さんは鹿山社長とあったが、工期はのばすという口調の約束をとりつけたものの、 元の請負契約の期限を確認する念書にサインをさせられていまった。
  鹿山社長はこれは注文主に見せるためのものだと言い、 お互いの間の効力はないのだからというので袴田さんはつい安心して署名し、拇印を押した。
  契約書の上での工期はもう一週間後に迫っていた。本当の工期ではお互いにあと40日はあるはずだった。
  10日たった。一応工事は順調に進んでいた。ところがである。鹿山社長から袴田さんに電話が入った。 工期管理のうるさい元請けから袴田さんの担当するガラス窓建設工事の遅れについてクレームが入り、 厳しい叱責をうけたということだった。
  袴田さんはここで2つ目の失敗をしてしまった。
  鹿山社長は元請けに申し開きをするために、袴田さんに確認書を書いてくれというのだった。 あと一週間で袴田建材の担当する工事をしあげること、 その期限からおくれた時は一日100万円の遅延損害金を支払うとの確認書である。 これも元請けにみせるためのものだということだった。
  この確認書を袴田さんに書かせた後、鹿山建設の態度は急に変わった。
  鹿山建設は袴田建材の従業員を自分の所の従業員のように呼び出し、泊まり込みで仕事をさせる状態が続いた。 袴田さん、専務、若い工事担当者達、下請けの職人さんたちは、ほかの現場を断って鹿山建設の現場に打ち込んだ。 そんなやりかたをしたが、袴田建材の担当した部分は、 確認書できめた新しい工期 (実はそれは嘘の工期なので効力はないのだが)より30日は遅れる結果になった。
  私は袴田さんにどういう経緯で確認書を書かされるはめになったのか、それを年表風にまとめるように頼んだ。
  それをもとに簡単な答弁書を提出した。
  第一回期日に裁判官から和解をすすめられた。
  和解期日は裁判官の執務室の隣にある多くは窓のない小さな部屋で行われる。 食卓のような大きさのテーブルを囲んで話し合いがされる。 そのテーブルの両側に袴田さん、私、鹿山社長、相手方弁護士が座った。 40前後の背の高い仕事の出来そうなタイプの裁判官が入ってきた。
  一方ずつ言い分と和解のための提案を聞かれる。 こちらは確認書は見せるためのもので原告と被告の間では効力が無いことを説明し、 ただ訴訟の時期と費用を節約するために和解はのぞむところなので、 請求されている金額の10%にあたる300万円を分割で支払うことを提案した。
  原告側の意向を聞いた上で裁判官が交互に被告である袴田さんと私を呼び出した。
  「まあ甲1号証の確認書があるから、いろいろ言い分はあるけど、しかたがないでしょう。 判決ということになれば、一挙に3000万円ですからね。どうですか、2500万円を長期の分割で原告に支払うと言うことでは」
  原告の完勝に近い線でまとめろというのである。袴田さんとしてはとても受入れ出来ない案だった。
  和解の交渉は一回で決裂した。
  通常の裁判にもどった。
  「ええと、確認書を作成した当事者にあたる袴田さん、鹿山さんのお二人を本人尋問するということで30分づつ。 申請書は今日付けで出して下さい。期日は……」 と裁判官が言う。私は立ち上がって言った。
  「まだ事実についての主張も、法律上この確認書が無効になる理由についても十分主張しておりませんので、 次回その点について詳しく準備書面に書かせてください」
  この裁判官の指揮は鋭くスピード感に満ちていた。日々の仕事に迷いはなく、その蓄積が彼に自信を与えているのだろう。 言葉の響きも顔のそういう表情に満ちていた。しかし、こういう類の人が好ましいとは限らない。 特に袴田さんの事件のような場合には。
  「そうですねえ。それでは一回だけ弁論期日をいれましょう。準備書面と被告代表者本人の陳述書を出してください」 というのだった。
  私は詳しい経緯と、この確認書が無効になる理由を主張した準備書面を出して局面の転換をはかろうとした。 しかし法廷の雰囲気は変わらない。
  鹿山社長の尋問をおえたところで裁判官が変わった。
  年齢は前の裁判官と変わらないが、ややうつむきかげんで、顔の色が白い。 法廷で聞く声は小さかった。一段高い裁判官席で記録を見る顔は何か考え込んでいる様子だった。
  事件について何か言うわけではないのだが、今まで続いていた流れがふと止まった様な感じがあった。
  法廷の帰りいつものように袴田さんと弁護士会のビルの地下の喫茶室で法廷の様子を振り返った。 私と袴田さんの裁判官についての印象は一致した。
  「どうだろう袴田さん。確認書の一件は法律の議論だけじゃ押し返せない。確認書を書かされるまでに、どんなドラマがあったのか。 物語をもう一回書き直してみては」
  「先生、私の妹の子どもで漫画の構成作家をやっている子がいるんですよ。 まだ売れてないんで妹は心配しているんだけど、そいつに私の話を聞いてみてもらって書いてもらうっていうのは」
  活字よりも漫画、漫画よりもゲームというのが今の商売の通り相場で、こういう青年たちがたくさんいることを私は知った。 書いてもらった物語は、実に説得力があった。
  大切な場面では、その場の情景、言葉、そして何より登場する人物が書き込まれている。
  よく出来た小説を読むような、魅力のある文章だった。
  多少手を入れて私はこれを原稿用紙100枚ほどの陳述書に仕上げ、次回の法廷に臨んだ。
  さらに法律上の手続にもすこし工夫を加えることにした。
  紆余曲折があったために、次回は袴田さんの尋問だった。誠実な袴田さんの人柄が出るような証言になった。
  証言をする証人、または原被告本人についた弁護士による尋問を主尋問という。 主尋問なんて出来上がった台本を俳優に読んでもらうようなもの、という考え方が弁護士にも裁判官にも広くあるようだが、私は違う。 人生をそこに彫り込むように渦中にいた本人さえ気がつかなかった真実を、準備の中で掘り起こすくらいに準備を徹底するのだ。
  この仕事にどんな過程を経て入ったか。人生観、本人のお母さんの生活歴まで聞き出した。 こいう聞き取りの中で袴田さんが嘘を言うはずのない人物だ、ということも確かめられた。
  反対尋問でも袴田さんの物語は崩れなかった。
  小説のような陳述書を書いてくれた袴田さんの甥が終わった後、頬を紅潮させて、 「よかったです」 と言ってくれた。
  この日袴田さんの尋問が終わったところで裁判官が和解を勧めた。 法廷に来ていた鹿山社長の方に弁護士が振り返り小声で相談し、 弁護士が原告は2500万円以下では和解に応じられないと言っていると答えた。
  裁判官はくぐもったような聞き取りにくい声で、
  「深刻な争いがあるのですぐにはまとまらないし、双方が条件をつけているときりがないので、 とりあえず期日だけいれますから双方ご検討をしてきてください」 というのだった。
  裁判の流れが変わったのが分かった。次の和解期日で黒い法服を脱いだ裁判官の人柄が一層分かった。 よく話を聞いてくれた。先読みの早い裁判官になると、自分にとって必要な話だけ聞いて、後はさえぎったり、 話の先を急いだりして話がおちつかない。 春風駘蕩、中国の春の田んぼに腰かけてゆったりと時間がたつのも忘れて話す、といった人にであわなくなった。 そこまではいかないが実によく話を聞いてくれた。
  鹿山社長の方の話もよく聞いているらしく交代で待っている間の時間は長かった。 それは鹿山社長の説得にかかっていた時間かも知れない。
  私は袴田さんに裁判官室から出てくる鹿山社長と弁護士の顔をよく観察するように言っておいた。
  二人は眉根にしわをよせてむずかしい顔をして出てきた。
  いそいで交代する。
  裁判官は記録の上においたメモ用紙 (手控えと言っている) に細くとがったエンピツで何か書き込んでいた。
  微笑しない。白哲といってよい顔だろう。
  「いろいろ言い分はあるだろうし、難しい人間関係でもあるようですねえ。しかしこの事件は和解で解決すべき事件だと思っています」
  私は緊張して聞いていた。判決を書くとしたら、3000万円か 0かどちらかだ。3000万円の判決がでれば控訴しなければならない。 そうすると袴田さんは少なくとも1500万円の保証金を積んで強制執行をしばし止め、闘い続けなければならない。
  袴田さんの資金力から言って会社の命運にもかかわる金額だ。
  和解で解決すべき事件というっていうのは袴田さん敗訴の判決を思い描いた上で言っていることなのか。 もう一回、私は裁判官の顔を見た。
  「そこでこれは原告にも申し上げたことですが、600万円を袴田さんの資力の許す範囲で分割という解決案はどうでしょうか」
  これだけがっちりとした確認書があり、しかも一回は2500万円の和解案が出た事件でこれだけの有利な解決案がでるとは、 これは袴田さんの勝利だ。
  喜びはおしかくして 「検討させていただきます」 と言って廊下にでた私は袴田さんに 「よかったですね」 と声をかけた。 あの朝の電話をもらってからもう一年はたっていた。
  袴田さんは誠実そうな顔をうつむきかげんにするいつもの表情をすると 「ありがとうございます」 と言って頭をさげた。
  小企業を切り回してゆく経営者の仕事の大変さがこちらに伝わってくる場面だった。 何回かの細かいやりとり、つばぜり合いを演じた上、裁判官の提案した線で和解が成立した。