エッセイ     梓澤和幸

モ モ


  私たちの家にはモモという犬がいます。
  柴犬の雑種で、ふつうの柴犬より型が大きく、毛の色にはシェパード系の茶色が混ざっています。
  しっぽが丸くまきあがって、さっそうとしています。
  モモをもらってきたのは今から12年前の秋も深まった寒い日でした。
  ひばりヶ丘に捨て犬や迷い犬の命を大事にし、もらい先を募集しては渡していくということをやっている女性がいます。
  妻の南クンが、親戚に 「かわいい犬がいたら紹介してね」 と頼んでおいたところ、電話がかかってきたので、 ある休日、南クン、小学校4年だった長女、小 1だった次女と私、つまり家族総勢が 1時間以上の道のりのところを出かけました。
  南クンは 「洋犬がいい! アレックス (親戚のところで飼われている犬です) みたいだといいなあ」 といっていました。
  次女はこの日のことを一番心待ちにしていたのでしょう、 鼻の下をのばし、長女に 「どんな犬かなあ。かわいいかなあ」 などと話しかけています。
  伺ってみると、篤志家の女性の家は想像していたよりせまく、家の前の小さな空き地に4匹か5匹の犬が繋がれています。
  ここは彼らにとっては仮住まいですから、何となく落ち着かない様子で、 「あっ、この家族にもらっていかれるのかな、よろしくお願い申し上げまーす」 というような眼をして、遠慮がちに吠えています。
  1匹、いかにももらい手のなさそうな大きな、耳を垂れた感じの犬が 「誰が来ても無関心」 という雰囲気を漂わせています。
  南クンは、いつもそうなのですが、自分の感情、特にがっかりした感情を率直に表す人です。
  ときどきあまり率直すぎると、上の娘にたしなめられているのですが、 「いいじゃないのおうーっ。正直なんだから」
  そうそう、Honesty is the best weapon. 正直に敵なし、という、実に天真爛漫な女性なのです。
  このときも、この少しがっかりした内側の感情をあらわしていたのでした。
  というのは、見渡したところ、南クンの目当ての洋犬は見あたらず、和犬系統で、 それもどこか元気が無く、かわいらしさに今ひとつ欠ける、というところが問題なのでした。
  私はみんなに従う、という態度でした。こういう場合のみんな、というのは、多くの場合、南クンの作り出す雰囲気なのですが。
  二人の娘は、じーっと、1匹、1匹の犬の顔、しっぽの様子を観察していますが、はっきりとは意見を言いません。
  「ちょっと。お手洗いを借りてくるからね」 といって、この家の奥さんに声をかけて、ドアを開けて中に入っていきました。
  すると、5頭の中の1頭が、ドアの閉まった後を追うようにして、見えないドアの向こうを見るように、見ているのが目に入りました。 娘たちはその様子をじっと見ていました。
  ドアをあけて、南クンと奥さんが出てきました。
  その時のことでした。家の前に乗用車がすうっと止まりました。家族連れのようです。
  「あのう、さっき頼んでおいたのですけど、よろしくおねがいしまーす」
  一瞬表情を曇らせたこの家の奥さんが篭に入った猫を受け取ってきて、門の前の木箱の上に置いて、 私たちに聞こえるような独りごとで、 「まったく、捨てるように置いていくんだから。 飼い続けないのなら、はじめから飼わなければいいんですよ」
  なにか申しわけないような気持ちになって、私たちはちょっとうつむいたのでした。
  奥さんは言い終わると、「この子なんですけどねえ。歯を見るとわかるんですけど、5〜6ヶ月くらいだと思います」
  近所の公園を、雨に濡れてびっしょりの姿のまま歩いているところを、 近所の子に拾われてここに連れてこられたのだということでした。
  よく見ると、丸い瞳が黒く、耳が立ち、尾がくるっとまきあがっているのですが、 鼻の周りのひげが黒いところが、垢抜けしないところが確かにありました。
  今一歩、というところで、南クンの気が進まない様子でした。
  さっきの場面があったからかもしれません。
  奥さんは、一家の反応を察すると、 「いいんですよ。気が進まないのに無理に、というのは一番いけませんから」
  というのでした。結局、その日はそのまま帰ってきました。
  1時間のバスの小旅行の後、自宅に着いた頃にはもう8時に頃になっていたでしょうか。
  お茶を飲みながら、4人でディスカッションが始まりました。
  「やっぱりねえ、親戚のマッコチャンのところのアレックスみたいな洋犬がいいよ」
  と南クンは昼間と同じ意見でした。
  そのとき小学4年の長女が少し涙をためながら、 「だけど、あの犬は、ママが家に入っていったときじーっと見てたんだよ。 この人にもらわれていくんだなーという感じだったよ」 というのです。
  この時私ははじめて、この犬がそんなに熱心に南クンの後を眼で追っていたことに気が付いたのでした。
  下の娘も、そうだった、そうだったと同調しています。
  私は、5匹の犬全部の様子を思い浮かべました。
  特に、誰も貰い手がなさそうにしていたあの大きな犬の姿が浮かびました。
  あの犬が超然としている分だけ、他の4匹の犬の一生懸命な様子の印象が深かったのかもしれません。
  私もあの柴犬の雑種をもらってこよう、という意見を述べました。
  南クンも自分は見ていなかったあの犬の、ドアのこちら側での仕草を聞いて、気持ちが動かされたようすでした。
  こうしてモモは、我が家の一員となりました。
  名前は次女が大好きな松谷みよ子さんの童話 「小さいモモちゃん」 という作品があり、 これをとって、 「モモ」 ということになったのです。
  モモは、我が家で愛情を受けて育つうちに次第に器量よしになっていきました。
  散歩に連れて歩き、若い女性の一群の側を通り過ぎると、 「かわいいー」 という声が必ずあがります。
  そんなときは、止まったまま、みんなによく見てもらえるようにしています。親ばかといいましょうか。
  駅の近くの雑踏の中で、家族を待ってすわっていると犬が好きそうな年を取った品のいいご婦人が、 眼を細めて、無言のまま、ほほえみながら、頭をなでていきます。
  褒められるのを知っているのでしょう。丸い黒い瞳を凝らすように褒めてくれた人の方を見たりします。
  モモは自然が大好きです。秋、仲秋の名月の頃、南クンの父 (私にとっては義父です) が、 70をすぎて達者に車を運転しているのですが、 「月見」 に一家を乗せて、 2キロほどのところにある多摩川の河原に連れて行ってくれるのですが、 必ず、後ろの架台に乗って、私がおちないように押さえて一緒に行くのです。
  秋の河原を明るい月の光が照らしているさまは、なかなかのものです。 向こう岸に多摩丘陵がつらなり、河原の水がところどころ月の光をうけて、白くてりかえし、ある箇所は黒々と流れをつくっています。
  河原中の植物に月の白い光が当たっています。人の姿はまったく見えません。
  モモをはなすと、この風景の中を全速力で走っていきます。
  でもときどき、心配そうに振り返って、おいてきぼりにならないように確認しています。
  河原の水の中をしゃぼしゃぼと音をさせて歩くのが、とりわけ好きで、そうしているのですが、 すぐにそれをやめてこちらのようすを見ていたりします。
  私は横になれるような草むらを探して、横になり、速い流れの雲に、 隠れては見え、隠れてはまた見える月のようすを見て深呼吸したりしています。
  義父は、みんなと離れて、ひとことも言葉を出さずに、河原と月の作り出す美しい風景に見入っています。
  ある年の夏、ちょっとした事件が起こりました。
  小学4年の長女と1年の次女がモモを散歩に出かけたときのことです。
  近所に一方が竹藪、一方が広い屋敷の敷地になっているちょっとすてきな坂があります。
  ここは日によってかわるモモの散歩道のスタートかおしまいのところなのですが、 その日はひとわたり散歩を楽しんできてもう家はすぐそこというところでした。
  二人はおしゃべりをしながらモモの綱をひいていました。道の片側に猫はひっそりと身をうずくめていました。
  自分の力を充分には知らずに挑み掛かってゆくところが、モモのいけないところなのですが、 このときもあっと気が付いたときには、モモは坂の道の途中にいた猫にとびかかっていたのです。
  猫はモモの左目に鋭い爪をたてていました。 娘たち二人がウワーっという悲鳴のような声を上げたときには、猫はどこかに逃げていってしまいましたが、 モモの左目は激しく出血していました。
  長女は泣きながらモモをかかえ、次女はきっと奥歯をかみしめた表情で家に帰ってきました。
  近所の獣医さんにみてもらうと、1週間は絶対安静ということになりました。
  モモの首の周りにはエリザベス王朝時代の女王のようなビニール製の輪がとりつけられ、 犬はどんなにかゆくとも、どんなに痛くとも自分の顔に一切さわることもできない状態におかれてしまったのです。
  モモは裏玄関のたたきの上で絶対安静に耐えました。
  裏玄関のたたきの上にすわったモモは痛みに耐えて実にけなげでした。
  痛みも相当なはずなのに吠えることもうなることもなく耐えたのでした。
  「犬は痛くとも声は出しませんから」 という獣医さんのアドバイスがあったので、 一言も痛みを訴えることのないモモの態度にかえって私たち家族は胸を痛めました。
  こんなこともありました。
  ある休日の午後、家から歩いて15分ほどのところにある国分寺跡を散歩しているときのことでした。
  少し先の方から大きな犬がやってきました。まずいことに首輪はつけているものの誰も綱をひいていないのです。
  トットットッとその犬が近づいて来たかと思うと、モモは自分の3倍も4倍も大きいその犬にとびかかってしまいました。 こんな相手にはまさかかかってゆかないだろうと思っていた私は、虚をつかれた感じでした。
  大きな犬はモモをあおむけにして上にのしかかろうとしました。こういう体勢になるともう殺されたも同然です。
  私は大きな犬の横腹に蹴りをいれました。腰がすこしひけた蹴りになったのは情けないのですが、 恐怖感のせいだったことは否定できません。そのくらい怖い犬だったのです。
  蹴りが入るとその犬は私の顔をゆっくりと見上げ、一瞬ぼんやりとした表情で見つめたかと思うと、 くるりと顔を向こうに向けて悠然と歩いていってしまいました。
  モモをみるといつもはみごとにまきあがっているしっぽは下がり、少し情けない表情をしていました。


  モモと散歩していると、ときどき発見があります。
  我が家から西の方向にわき水のきれいなところがあります。 国木田独歩の文章の中ではけと呼んでいる場所があります。 武蔵野台地が昔、海だった低地との境につくった崖のあちこちに台地にしみこんだ水を濾過して透明な水をわきたたせているのです。
  この清水のそばに国分寺跡の史跡があり、古い蔵をもって農家が何軒か固まっています。
  どの家にも歴史をもったクヌギ、ナラ、ケヤキの大木が杜をつくっています。
  ある秋の日曜日でした。
  清水が作っている幅1メートルほどの流れに、木の間からもれてくる日がさして水面に当たっています。
  のんびりと流れの真ん中をのし泳ぎしているあめんぼうの影が、 澄んだ水の底に四つ葉のクローバーのような文様となって動いていきます。
  この清水で、もう一つの発見がありました。
  ある日、ボシャボシャと水に入るのが好きなモモの様子を見ていたときのことです。
  白い大きな鳥がモモの鼻先1メートルほどのところに、大きな羽を柔らかにすぼめながらおりたちました。
  白鷺でした。私の第2の故郷である埼玉県ではよく見かけたのですが、国分寺では珍しいことでした。
  鷺は小川に降り立つと水のわき出るほう、私たちから見ると左側にむかって歩き始めました。
  みていると足が水に入ってから前にのびるのでした。水に足が入るときには決して音をたてません。
  魚を逃がさないために鳥にうめこまれた生きるための知恵なのかもしれません。
  歌舞伎のだんまりの場面のように抜き足をする鷺に、 いつもなら鳩をみただけで賑やかに騒ぐモモも、このときはこの美しい光景に見入っているかのようでした。
  モモがこの場面をどう思っていたかはわかりませんが、 私を決してせかさなかったところをみると何か感ずるところがあったのかもしれません。
  モモにも困ったところがあります。スピッツの血統をひいているらしく、鳴き声に高音が入ってやや神経質になくのです。 ご近所の迷惑になるのではないかと家族一同気が気ではありません。
  風の音に妙に敏感で、ちょっとした木々の鞘擦れの音、木枯らしのふく季節、 遠くで電線のピューと鳴る音でも反応して激しくほえるのです。
  吠えるだけではなく、爪を小屋の床にたててひっかいたり、小屋の柱を噛んだりして気をまぎらわせようとします。
  高じて、木造の小屋をバラバラに解体してしまうところまでいってしまいました。
  次女の高校時代のことでしたが、友人達が何人か集まってそれはそれは苦労して1日がかりで再建したのですが、 風がふういてザワザワッという音がしようものなら、1時間もしないうちに壊してしまうのでした。
  もう家族の一員のようになってしまったモモのこの荒れようは、みんなの共通の悩み事になってしまいました。
  いま思うと、しかし、このモモの荒れ方はモモと一番の友達であり続け、 今でもそうである次女の思春期の葛藤と深い関係があったのかもしれません。
  次女はモモが貰われてきたときから独特の関係を作ってきたように思われます。
  私の知る限り、次女はモモにむかって怒ったことがありません。
  小学校時代、学校でいじめにあっているときなどは、 帰宅すると庭に出てジーッとモモの眼をみているというようなことがあったようです。
  こんなふうにしているので、モモは自分が人間だと思っていた時期もあったようです。
  次女が小学校時代にモモのことを粘土細工に作って、もって帰ってきました。
  庭先に通ずる縁側のようになっているところにそれをおくと、何か異物にでもふれたように激しく吠えたてました。
  南クンと私は顔を見合わせ、いたずらするような気持ちで小さな鏡をモモの鼻先においてみました。
  もっと激しく、怒ったように吠える様子は、私はこんな顔をしてないんだと言っているように思えるのでした。
  モモに最近大きな変化が起こりました。
  ほとんど一声も吠えなくなってしまったのです。
  寒いとき、おなかがへったとき、クーッと甘える声をよく出していたのですが、それもなくなりました。
  変化は突然やってきました。
  大学で獣医になるための勉強をしている青年に聞いてみると、 大きなストレスをかかえているせいではないかというのです。 あれだけ吠えたとき、我が家ではとるべき術もなく、きつくしかったり、あるときはホースで水をかけたりしました。 こうしなければ住宅の密集した東京では、ご近所からの抗議でモモがここにいられなくなるというおそれがあったからのことでした。
  優しくしてくれていた家族から急にしかりの言葉が多くなったことがショックだったのかもしれません。
  それに年取った父母の介護や家族の病気への対応に追われる我が家の様子が、正直にモモに反映しているのかもしれません。 それにこれだけおとなしくなることで、モモは私たちを助けていてくれるのです。
  桜の花のつぼみが柔らかくふくらみはじめた3月末、義父、南クン、長女、それに私は日野の多摩川の河原に遊びました。
  もうじっとしていても肌は汗ばむような暖かさです。
  義父のポンコツ車に乗った私たちは、反対側の河原、つまり神奈川県側の土手におりたちました。
  5、600メートル程の幅の河川敷の所々に古い背の高い木が淡い美しい緑の葉をつけています。
  河原を歩いてノビル、カンゾウ、イタドリなどの野草をつむ合間に遠くを見ると、 緑の草が足下からはるか彼方まで一面につらなっているのが目に入ります。
  冬から春に向けての季節の変わり目に自然が見せてくれるのは、冬の荒涼とも夏の激しさとも違った優しさです。
  モモが幼かった10年前は河原に連れてゆけば、すっ飛び廻っていたのに、 その頃とは明らかに違ってゆったりとこの自然の中に身を委ねているようでした。
  自然の中に入り、自然の恵みである野草つみをその生き方の一部にしてしまっている義父は、 ときどき草を摘む手を休めて土手に座り、遠くを眺めています。
  その姿はただ年取っているというのではなく、ますます試作を深めていく哲学者のようにさえ見えるのでした。
  その姿を見ながら、私は何回も何回もモモと義父と家族のみんなで春の自然に接したいと思ったことでした。

       (義父、モモは1999年、他界した)