エッセイ      梓澤和幸

3人の横顔
(2006年2月5日)

  どんなに表情をつくろえる人でも声はごまかせない。だからラジオはテレビより面白いメデイアなんだと、 あるラジオ局のプロデユーサーに聞いたことがある。
  声と同じように横顔も作れない。

  深刻な刑事事件の鑑定依頼をした精神科の医師の、被告人との面会に立ち会った経験がある。
  昔からの友人にであって、「やあ」と言いあうような親密な笑顔にふと胸をつかれた。
  被告人の表情はふっと安心するように和んだ。小菅の一般面会所はまことに味気なくそっけないのだが、その瞬間、 ある気持ちの流れがむこうとこちらを隔てる穴あきの硝子を貫いた。
  その医師はまだ若い人だった。その視線はただ被告人にだけそそがれていて、私のことなど忘れ去ったようだったが、 困難の中にあるむこうがわの人を抱きとめるような慈愛を感じた。 鑑定という仕事をするときこんなに精神科の医師は暖かい表情をするのか、と私は不明を恥ずる思いであった。

  難民、外国人問題では第一人者といえる渡辺彰悟弁護士の面会も記憶に残る。
  つい最近、一緒の事件のため品川の東京入国管理局で拘束された外国人と面会した。
  目の前にあるコンピュータにむかい、背中をまるめてマシンに覆いかぶさるようにして相手の陳述をただひたすら書き込んでゆく。
  写真家であるその外国人の人生を聞く。彼が語るのはアジアの子どもたちの半裸のような姿であった。 子どもたちは必死の生活なのだが、言葉で語られる写真の背景はいつも川や海や花という自然であった。 その背景の中に子どもがいた。
  アジアで見た、いや世界のどの国でも見かけた子どもの目を僕は思い浮かべながらこのヒアリングに立ち会った。
  ふと見ると、渡辺弁護士は一心不乱にその情景をコンピュータに打ち込んでいる。 その横顔は何かにひたすらうちこんで余事は入る余地は全くない。 ただ眼前のベッドに横たわる危急の患者を助ける、医師のような表情であった。

  今一緒に浮かんでくるのは新聞記者鈴木則雄(のりさん)の横顔だ。はじめて会ったあのときの、のりさんはずっと若い記者に、 自分の意見と違う不足を感じたらしく口をとがらせて厳しい表情で何かを言っていた。
  そのときの具体的なやりとりより、横顔が見せた隙のなさがよみがえる。 四方八方を囲む敵と対峙しているような緊迫した雰囲気だった。

  人は何かにうちこむとき、誰かに、つくろうことのできない表情と、その人生、精神の営為の一断面を見られているのだろう。
  この私も。