生きてゆくことの価値を実感する音楽
〜精神科患者と医療者の「共演」がもたらしたもの〜

代々木病院 精神科デイケア
臨床心理士 梓澤まり


1、病院の中に音楽の芽が

  ある蒸し暑い日の午後、精神科デイケア室に突然大きな贈り物が届いた。それは家庭で使い込まれた跡の見える縦型ピアノであった。 ピアノの扱い方を知らぬ病院職員が大騒ぎで設置していった後、静けさの戻ったデイケア室に戸惑いの空気が広がる。

  「…これ、誰がひくの?」 第一声はメンバー 1) だったと思う。後ずさりした私を押し出すように看護師が息を弾ませる。 「ひける人は梓澤さんしかいないじゃないの!」 無理やりといってもいいくらいの勢いに、仕方なくピアノの前に座る。震える指が奏でたのはなぜか、 高校時代に苦闘した試験の課題曲であった。ひき終わって振り返ると、メンバーがずらりと私を取り囲み、割れんばかりの拍手をしている。 「梓澤さんのピアノ、いい!」。お世辞を言うような人たちでないのはふだんのつきあいで知っている。 ひけるのは当たり前、間違えると減点される音楽学校の中で、私はすっかり自分のピアノを、そして自分自身を否定することが習慣になってしまっていた。 そんな私の音楽がここでは温かく受け入れられている。この日を境に病院に 「生の音楽」 が絶えず流れることとなった。

2、合唱というリハビリテーション

  その看護師が今度は「みんなで歌う喜びを感じてほしい」とメンバーへの合唱指導を私に依頼してきた。無理ではないか、と出かかった言葉を飲み込み、 メンバーがカラオケでよく歌う 『島唄』 の混声3部合唱の楽譜を入手し、試みに歌ってみると、やはり曲にならない! あきらめるべきか、とうつむいた時、 メンバーが口々に言った。「うまくなりたい!」、「練習したい」。メンバーたちの強い意欲に私は心を決めた。秋から厳しい練習を重ね、年末の院内クリスマス会では、 聴衆の入院患者や職員が驚くほどのハーモニーが響き渡った。この出来事をはずみに、翌年はアマチュア音楽コンクールに出場し、思いもかけず敢闘賞を受賞、 その後は、老人保健施設や老人ホームで訪問コンサートを行うまでにデイケアの合唱団 「ハートビート・コーラス」 は成長してきた。

  合唱に参加しているのは常時10名程度で、統合失調症のメンバーが大半であり、うつ病・神経症・発達障害の人が若干名混ざっている。 彼らが自信喪失しないよう細心の注意をしつつ、「音楽の質を落とさない」 信念の実現は甘くはなかった。新曲は短く区切りながら私が歌い、メンバーが耳から覚えて歌う、 ということを繰り返す。譜読みだけで 1ヶ月はかかる。発声練習には苦労した。カラオケに慣れた 「地声」 を自然な声楽的発声に近づけるのは容易なことではなく、 気を許すと地声に戻ってしまう。音程の悪さにも悩んだ。訓練のために簡単な音符の型を歌ったり、合間に楽典入門を教えたりもした。ただいつも立ち返るのは次のことだった。 心を表現するのに一定の技術が必要で、そのために基礎練習がある。「しかし」 と私はメンバーに問いかけた。「この曲の真髄は何か?」 と。 歌詞の意味と音を自分の身体でしっかり感じとり、それを声に乗せることが何より大事なのだ、「正しく」 「上手に」 を目指すためのテクニックなら捨てよう、と言い切った。 メンバーたちは目を見開き、真剣に聴いている。「もっと、もっと、思い切り! 手をつないで全員で空に飛んでいくの!」 とイメージを話すと、無言で頷き、 微細なニュアンスを歌声に変える。「そうそう!すごい!」私は拍手を送る。メンバーは晴ればれとした表情で至福感をかみしめている。 2)

  このようにして5ヶ月間練習を積み、2005年9月30日、当デイケア主催でコンサートを実施。東京・新宿区のホールで、200名近くの聴衆を迎え、 歌や楽器で音楽の魂を表現し尽くした。終演後は涙がこみあげたという聴衆でロビーがいっぱいになった。「障害者が努力しているから」 感動するのではない。 音楽の力強さそのものが聴衆をひきつけたのだ。この日、メンバーもスタッフも、病気のあるなしにかかわらず私たちは演奏者として人間として仲間であるという、 確固とした実感を手にした。メンバーの疲れを心配するスタッフのお節介を吹き飛ばし、翌週メンバーはいきいきとした表情でデイケア室を訪れた。 

  病状は低空飛行をたどり、他者に批判的な言葉をぶつけていたAさんは「歌わせてくれてありがとう、ありがとう」とみんなに頭を下げ、 チャーミングな笑顔を見せるようになった。Aさんは、声がなかなか向上しないことに涙をためて、私に個人レッスンを依頼してきた。 本番では、フルート独奏の直前に緊張で頭が真っ白になった看護師の肩に手を置き 「落ち着いて」 と励ます場面もあった。「人になじめない。 仕事が続かない」 と暗い顔で言っていたBさんは、合唱活動を続ける中で次第に自信をつけ、就職が決まり、きびきびと働く毎日である。 「デイケアは嫌だ! いつまで来ればいいんですか!」 と怒っていたCさんは、いつの間にか合唱に参加し始め文句を言わなくなった。 歌唱力は初め乏しかったが、継続は力なり、男声パートを一人で歌えるようになり、私が嬉しさのあまり思わず涙をこぼすと、 そこにいた女性メンバーも一緒に泣きながら手をたたき喜び合った。彼は毎日デイケアに通うようになったおかげで持病の糖尿病も徐々に安定してきた。 舞台にあがらないメンバーはスタッフと一緒に炎天下でビラを配って歩いた。当日は会場設営から受付まで、学生ボランティアの力を借りながら、メンバーが担当した。 そしてスタッフは各自、昔習っていた楽器を持ち寄り、音楽療法士の特訓を受け、手に汗握りメンバーと一緒に出演したのである。 コンサートの成果は一夜で消えるものではなく、それぞれのメンバーにしっかりと根づき励まし続けていることが日々の様子から見てとれる。

3、経緯のふりかえりと検討

  合唱活動を成り立たせ、その効果を生むことを可能にした要因や背景をここで考えてみたい。

  まず第一に、メンバーの合唱練習の動機が自発的なものだったことである。スタッフに促されたのでなく、メンバーの中から湧いてきた意欲は強く迫力があったため、 これは何としても尊重したいと思った。第二に、合唱活動を行うにあたって譲れない信念が私にはあった。芸術としての音楽の質を落とさないということである。 「素人なのだから」 とか 「楽しければいい」 といった中途半端な気持ちでは、味わえる喜びも中途半端となる。 聴衆も 「やはり 『障害のある人』 の音楽には限界がある」 と受けとめるだろう。私がふだんメンバーとのつきあいの中で感じていたことは、 「健常者」 を超えるような彼らの感受性の繊細さと豊かさであった。このすばらしさを、音楽を通じて聴衆に知ってもらいたかった。 第三に、午前中の 1時間、週に2回 (本番 1ヶ月前は3回) の練習を目的に向かって一定期間継続することはそれだけでもメンバーの生活に規則性を与え、 気持ちの安定を生む。また、厳しい練習を共にする過程で仲間意識も強くなり、自然な支え合いが見られるようになった。 第四に、前述のような 「時間の枠」 と 「歌詞という枠」 があるため、統合失調症のメンバーにとって、ある程度深く芸術世界を感じても、それが病的な不安体験には移行せず、 安全な範囲での感情移入が可能だったということが考えられる。

  これらの要因の背景にあったものをあげてみよう。一つは、いつもゆとりが感じられるデイケア室という場と、 異なる専門性と人間としての個性を認め合うスタッフのチームワークを含めた「環境」であろう。医師たちが私たちの実践を、静かに支持的に見守ってくれ、 時に積極的な声援を送ってくれたことも大きい。正直に言って、心配な局面もあった。あるメンバーが合唱の発表がプレッシャーで再発の危機に直面しているのではないか、 というのが最大のものであった。複数の医師も含めたデイケアスタッフで事例検討を重ねた。心からやりたがっているのだから、 ここで止めてはメンバーの健全な自尊心を挫くことになる、乗り越えることを応援しようではないか、 という結論に到達した。私たちは医療者であるから病状の悪化を防ぐことが大前提ではある。しかし、それを念頭におきつつ、 患者・メンバーが少し背伸びして課題に挑戦することで、リハビリテーション過程が飛躍的に進むことも起こりうる。このバランスが難しい。 この時、多様な視点で事例検討を行ったこと、医師から力強いサポートを得たことで、安心して合唱指導を行うことができた。

4、音楽による生きる価値の実感

  合唱体験の蓄積の中で改めて気づいたのは、病気があっても可能性の限界を押し広げることができるということである。 「患者さんは疲れやすいから、傷つきやすいから、集中力が続かないから、合唱は負担になる」 …これは医療に従事する臨床心理士としての私が、 無意識に身につけていた過保護な姿勢であり、別の言い方をすれば「偏見」なのではなかったか。今回の体験の中で私は一つの仮説に出会った。 それは、医療者、さらに患者本人も含めて持っている「病像」の中に、「真に病気の部分」 と 「病気と思いこんだ部分」 があるのではないかということだ。 後者は、患者と医療者が人として出会い、安全な方法で豊かな感情世界を希求してゆく時限りなく小さくなり、その人が本来持っている 「健康な部分」 が拡大してくる。 私は今後この仮説を追いかけてゆきたい。精神科リハビリテーションとは何であろう。誤解を恐れずに私なりの考えを言えば、 その本当の目的は就労でも集団への適応でもない。それは、時に死の選択と隣り合わせになってしまう危険を持つ精神病の人たちが、病気を持つ自分の命を見限らず、 明日からも生き続けよう、と実感できるようになることである、という気がしてならない。彼らの隣に並んで、一緒に泣き、笑い、日々を生きぬくのが援助者の役割なのかもしれない。

  輝かしい本番をくぐり抜け、身体の中に本物の自信が芽吹いたメンバーの顔は生命エネルギーにあふれている。これを見た他のメンバーは一人、 また一人と合唱団に加わり歌い始める。このような彼らと共演できる私たちスタッフはかけがえのない物語に参加している幸運に胸を熱くしている。


注)
1) 精神科患者で精神科デイケアに通っている者のこと。
2) ここまでの経緯については、2005年9月20日付朝日新聞夕刊を参照。


「月刊保団連」 2006年 1月号掲載