言論統制    梓澤和幸


個人情報保護法案の新法案と市民的自由の制限について

  2003年3月7日付で個人情報保護法が閣議決定されました。梓澤の私見を述べさせて頂きます。

1、表現の自由を抑圧するものとして世論の厳しい批判にあった個人情報保護法案は2002年12月の臨時国会で廃案となった。3月7日新法案が閣議決定されたと発表された。

新法案は
 (1)「基本原則」(利用目的による制限、適正取得、透明性の確保等)の削除
 (2)適用除外の拡大 (「著述を業として掲げる者」 作家、フリージャーナリスト等。報道機関には 「個人」 を含むと明記)
 (3)報道への適用除外規定に報道の定義規定がかかげられた。
 (4) 市民的自由の侵害の禁止― (主務大臣は、権限行使にあたっては、表現の自由、学問の自由、信教の自由及び政治活動の自由を妨げてはならないとの規定を挿入。従前の法案では、市民的自由に配慮するとだけ述べていた。)

  などの変更がある。
  この新法案は、表現の自由を守ろうとする世論の厳しい批判を反映したものである。
  しかしながら、主務大臣の強大な権限によって、市民的自由を制約しようとする、法案の基本構造は変えられていない。

2、法案によれば、個人情報取り扱い事業者は、目的外利用、個人情報の第三者提供、個人情報の不適正取得が禁止される。個人情報取り扱い事業者には営利事業者だけでなく、団地自治会、同窓会、著述家の団体、弁護士会、労働組合、生活協同組合などありとあらゆる結社、個人情報を取り扱う個人が含まれる。内閣官房個人情報保護担当室はこのことを繰り替えし確認してきている。
  事業者という言葉は、継続反覆してある行為を行うものとされており、この言葉の法律的な意義からすれば、個人情報取り扱い事業者が営業者すなわち営利団体に限られるということにはならない。その意味で個人情報保護担当室の説明はあたっているのである。

3、主務大臣は、これらの個人情報取り扱い事業者に対して、個人情報の取り扱いに関する報告をもとめ、個人情報の中止をもとめる勧告、命令を出すことができる。(新法案34条3項)

  求められた報告をしないこと、うその報告をすることに対しては30万円の罰金が、利用中止の命令違反に対しては6ヶ月以下の懲役が課せられる。命令違反は現行犯として令状なしで逮捕、捜索される危険がある。

4、報道機関には適用除外との理解は間違い
  主務大臣の強大な権限は、報道機関には、適用除外との表現がもちいられ、この適用除外には新聞、テレビなどの報道機関のほかに著述業、個人のジャーナリストも含まれるとされた。
  すると、この市民団体は、個人情報取り扱い事業者だとして、主務大臣の監督をうけ、報告義務を負うし、個人情報の利用中止命令がでたときにはそれにしたがう義務を負うことになるのである。

  報道機関はどうか。
  新聞、放送などの報道機関が報道目的のために、個人情報を取り扱ったときには、適用除外になるのだという。(50条1項一号)
  では報道とは何か。50条には報道の定義規定が入った。
  報道とは、客観的事実を事実として、不特定多数に伝える行為またはかかる事実にもとづき論評する行為をいうのだとされた。(50条2項)
  主務大臣はこの条項によってある記事が客観的事実か否かの評価権限を握ることになった。客観的事実という概念は筆者の知る限り現存する法律にはない。
  ある報道や表現が真実か否か、真実であるか、真実だと信ずるについて相当な根拠があれば、公共性、公益性があれば違法性を阻却されて名誉毀損とならないとすることが判例法理論となっている。
  この真実ということばと客観的事実という言葉とは似通った響きがあるので一応客観的事実と真実とは同じだという前提にたってみよう。
  そうすると、主務大臣は裁判所より先に、ある記事が真実か否かの審査権限を握り、かつその記事の利用中止命令を下す権限をにぎることになる。(34条3項)
  もし命令に従わなければ、現行犯として逮捕、捜索をうける。
  報道の定義が条文化されたために、報道目的か否かの判断のものさしが主務大臣に与えられ、新法案の方がいっそう干渉の危険を増したというべきである。
  報道や表現の上に主務大臣という権力が監視の目をひからせることになるのである。
  雑誌が除外規定に依然として入っていないことにも注目すべきである。
  雑誌にたたかれ、政治家や高級官僚が失脚した事例は枚挙に暇がない。
  新聞や放送はそんなにはねないからまだいい。記者クラブで発表づけにしておけば、たいした調査報道はできない。標的は雑誌だ。この考えが透けて見える。

5、著述を業とするものが著述を行うときには適用除外になるとされた。
  しかしながら、著述業者がここに含まれたことに大きな問題がある
  著述とはいったい何なのか。「創作的な内容を言語をもって表現する行為」 だとの説明が藤井昭夫個人情報保護担当室から行われている。
  このような行為を継続反覆して行うものが、その目的にそった表現行為をしたときには、適用除外にするのだという。
  では、市民団体のビラで、イラク戦争反対の意見表明したとしよう。それはここにいう著述になるのか。創造的な内容――芸術的な表現行為ではないから、著述とは見られないであろう。
  この定義からすれば、市民団体のホームページ、ビラ、機関紙などは含まれない可能性がある。
  もっとすごいのは、芸術表現さえ国家の管理のもとにおいたことである。
  ある作家の表現が創造的なものか。それとも創造的ではなくただ現実を模写したsにすぎないものか、主務大臣――官僚が審査するのである。
  あ、これはスターリン体制下でソルジェニツインがやられたのと同じだ。
  かえってこの規定によって芸術界と市民団体の自由の根源が主務大臣に握られたことになる。
  憤るべし。この国の市民たちよ。芸術家たちよ。ジャーナリストたちよ。
  このような法案がれいれいしく内閣の閣議決定になったのである。
  これで、紳士のように机の上で議論しているのであれば、そのこと自体で、自由のために、侮辱され、いためられ、拷問され、だがあえて屈しなかったために、青年としての未来を奪われ、去っていった人々に申し訳ないと思わなければならない。