言論統制  梓澤和幸


指定公共機関と報道の自由 〈月刊民放2006年7月号〉

  はじめに
  武力攻撃事態法、国民保護法に規定される指定公共機関問題をめぐる論議はすでに山を越えた、 というのが放送関係者の本音ではないだろうか。
  もう受けてしまったのだからそこで終わり、あとは手も足もでないといわんばかりに。
  しかし、実は語りつくされていないことは少なくないし、まだなすべきこと、なしうることは少なくない。
  また、国民保護計画をめぐる総務省との個別協議や、地方公共団体の関連の条例にも調べてみると検討すべき問題が少なくない。
  本稿では、比較的論じられてこなかった武力攻撃予測事態、緊急対処事態、とくに後者に比較的焦点をあてつつ、 指定公共機関たる放送局に生ずる報道の自由との衝突、矛盾について論じてみたい。

  第一、武力攻撃事態法の法構造と報道機関の関係

  武力攻撃事態法 (以下事態法という) は、武力攻撃事態、同予測事態、緊急対処事態 (以下事態法三事態という) に至ったときに、 武力攻撃事態対策本部または緊急事態対策本部をたちあげ、それの事態の対処指針を作成する権限を政府に与えている。 そして内閣総理大臣をその本部長に就任させ、指定行政機関、指定地方行政機関などの行政機関のほか、 指定公共機関と指定された民間団体との間に連絡調整、指示などの権限を与える。 これに国民保護法上の権限と指定公共機関たる民間団体 (放送局も含む) の責務が連動する。
 以下、事態法三事態のそれぞれに則して、報道の自由の問題としてどんなことが起こるかを検討してゆきたい。

一、武力攻撃事態、同予測事態
 いかなる要件で武力攻撃事態対策本部がたちあげられ、事態対処指針が打ち出されるのか、その要件は、
  事態法 2条の定義規定に三つの場合が定められている。
  第 1はわが国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態であり (武力攻撃事態)、
  第 2は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態 (武力攻撃事態のおそれ事態) であり、
  第 3は武力攻撃の予測される事態 (武力攻撃予測事態) である。

  報道機関との関係で見ると、法が定めるそれぞれの事態に至ったか否かの認定判断が死活的に重要である。

  いまでは、アメリカ政府のイラク戦争の戦端開始に虚偽や判断の誤りがあったことは、誰も否定しないことである。
  日本をとりまく有事において判断が分かれる困難な事態に直面したとき、報道機関たる放送局はいかなる立場におかれるのか。
  最近話題が集中している米軍再編問題を事例にとりあげ、指定公共機関の問題に関連させつつ、将来おこりうる事態の検討をしてみたい。
 五月一日、在日米軍基地再編に関する日米間で最終報告についての合意があった。事態法、国民保護法との関係で重要なことは、 再編合意と朝鮮半島有事の関係である。

  イラク戦争の経過で、戦争の戦端開始についてアメリカ合衆国政府に虚偽があったことは、今や誰も否定しない事実であろう。 メディアはその嘘をたたくことができず、人々の不幸の招来を防ぐことができなかった。 メディア関係者に反省の弁は散見される (たとえばサンケイ新聞五月七日朝刊二ページ 元NHKワシントン支局長手嶋龍一氏の 「メディアは情報を独占していた当局に踊らされ、イラク戦ではチェック役として十分ではなかったのではないか。 そうした批判は真摯に受け止めたいと思います」 との発言など)。

  今も進行中の戦争について、もしメディアにじくじたる思いがあるのであれば、当面の危機を迎えているイラン、朝鮮半島有事について、 監視の視線はもっと厳しく向けられるべきだと思う。

  朝鮮半島有事についていうと、再編合意を評価する上では次の事実を見落とせない。
  第一は、在韓米軍基地の移動、再編の動きである。
  三八度線に配置されている在韓米軍第二歩兵師団の一万五千人の将兵は、二〇一〇年までにその大半がソウルより南に移駐される。 在韓米軍の司令部があるソウル市内龍山基地は、二〇〇八年までにソウルの南六〇キロの京幾道の平沢 (ピョンテック) 地区に移動する (久江雅彦著 「米軍再編」 講談社現代新書 七二ページ)。

  二〇〇三年、米韓両政府でこうしたアメリカの構想について協議が始まっているとの報道が韓国のメディア (朝鮮日報など) で報道されると、韓国では深刻な危機が広がった。
  アメリカ軍を安全な場所に後退させ、アメリカが北朝鮮に先制攻撃をしかけるのではないか、という不安である。 筆者は、一九九〇年前後からの法律家交流を通して、弁護士、弁護士出身の政治家、政府高官に知己を得ているが、 彼らの憂慮の念は軽くなかった。実際、二〇〇五年五月六日には、北朝鮮核実験阻止に向けて空爆計画立案していると、 アメリカの三大ネットワークの一つNBCがスクープ報道した (二〇〇五年五月六日共同)。米軍は、北朝鮮が核実験を行った場合には、 実験直後に北朝鮮攻撃を可能にする作戦計画に変更しようとしており、韓国政府がこれに抵抗しているのだという。

  最近伝えられるブッシュ政権のイランへの先制核攻撃の検討 (二〇〇六年四月八日時事、同九日共同、同一九日毎日) の動きをみると、朝鮮半島有事におけるアメリカの先制攻撃、つまり、アメリカによる戦端の開始は杞憂ではない、といえる。

  第二は、日米共同作戦体制の更新、とくに米陸軍第一軍団司令部の神奈川県キャンプ座間への移転の動きである。
  日米共同作戦体制の動きの内容とは、@北朝鮮などを想定した日本有事 A朝鮮半島や台湾海峡を想定した周辺事態  B国際テロ対策や大規模災害での日米協力 についての詳細な計画だという(日経二〇〇六年五月五日)。

  米第一軍団司令部のキャンプ座間への移駐は何のためか。
  陸上自衛隊中央即応集団司令部の座間への設置、航空自衛隊航空創隊司令部の横田基地への移駐、 同基地における日米共同統合運用調整所の設置 (以上は前掲共同から) と総合すると、 日米共同で「有事の際に戦闘の最前線と司令部との時差をできるだけ少なくして、 時々刻々と変化する情勢に即応する」(久江雅彦 前掲書六八ページ) という視点は無視できないであろう。
  事態法は、前記三事態の成立認定を政府に完全に委ねている。

  放送局は事態発生の現状、予測、影響のある地域を含む警報 (国民保護法四四条二項) を放送する責務を負わされている (国民保護法五〇条)。
  そもそも,ある有事 (戦時) が発生したとき、その原因、正当性、 経緯について自らの情報にもとづいて検証することこそが報道機関の役割といえよう。

  米軍再編についてややまわり道に見えたかも知れない論述をしたのはわけがあった。 放送局が報道機関としての自殺行為ともいえる 「指定公共機関としての責務」 を果たさせられるかも知れない日の到来は、法律上、 観念上の出来事ではないことを示したかったためである。指定公共機関の責務を定めた条文に従えば、 放送局は自分の情報と判断にもとづいたニュースとは別に、政府の流す情報をそのまま流すことを義務づけられるのである。

  第二、緊急対処事態と指定公共機関

  緊急対処事態は第一に述べた三つの事態より、もっと現実的可能性がある。武力攻撃事態や予測事態に比較すると、 より軽い要件だからである。
  有事 (戦時)、または、その予測事態に至らなくとも、地下鉄サリン事件級のテロ、 刑事事件でも事態認定がされる緊急対処事態については、研究者の論文でも論及されていない。新聞、テレビの解説も稀である。
  この事態については、放送関係者、憲法、メディア法の研究者による検討が、焦眉の課題であると考える。

1、二〇〇四年一二月一日のことであった。朝日新聞東京本社版メディア欄に、次の事実を伝える記事が載った。
  「一一月三〇日、有事の際の指定公共機関となった放送局が、警報を発するための政府による初めての図上訓練が行われた。 放送局側も参加した。
  訓練を担当した内閣官房によると、東京都内の住宅地でトラックから化学剤が散布され、 ターミナル駅では複数のカバンから化学剤が散布された、という想定だった、という。放送局はNHKを含む10社が参加。 警報は首相官邸から各社にファックスで一斉送信。しかし、そのファックスの内容は記者には明らかにされなかった」 (二〇〇四年一二月一日 朝日新聞東京本社版朝刊)。

  武力攻撃事態か予測事態のことしか頭に入っていなかった筆者は、強い疑問を抱いた。この程度で、事態法、 国民保護法が動き出すのはおかしいのではないかと。
  図上訓練であげられた事例では、事態法の三要件には当てはまらないのではないかとの疑問を、 ある機会に放送関係者にぶつけてみた。すると、緊急対処事態に関する条文 (事態法二四〜二六条) が事態法成立の翌年に法改正で付け加えられたこと、どうやら初の図上訓練は緊急対処事態を想定して行われたらしいことがわかった。 その後、図上演習において内閣官房から各局に送られたファックスの内容が判明した。 東京都内2ヵ所で松本サリン事件程度のテロ行為が起こったという想定であった。
  一時五分と一時四〇分に事件が発生し、緊急対処事態対策本部長発の警報発令は二時五六分、 つまり発生後一時間一六分の手早さで、緊急対処事態の認定、警報発令が行われた、という想定の訓練になっていた。

2、緊急対処事態の成立要件と認定の主体、手続き
 法的な整理をしてみよう。
@法は緊急対処事態を次のように定義している。
  緊急対処事態(@武力攻撃の手段に準ずる手段を用いて多数の人を殺傷する行為が発生した事態又は  A当該行為が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態で、 B国家として緊急に対処することが必要なものをいう−事態法25条1項)
  この定義規定には、多数の人の殺人、傷害、又はその明白な危険が切迫しているという以外に事象を限定する働きがない。

  1の図上訓練事例でわかるように、松本サリン事件規模の大規模な殺傷犯で緊急対処事態ということになる。 しかも、手続的には政府が認定の主体であり、国会は二〇日以内に事後承認で関与するだけである。そして、自衛隊、警察、 海上保安庁の連携の強化がうたわれている (事態法二四条2項3号)。とくに、事態法二十五条3項一号に、攻撃の予防、 鎮圧その他の措置との規定があるのは要注意だと考える。近代刑事法では、犯罪あるときにこれを捜査し、処罰するのが大原則であるが、 テロリズムへの対抗という名分によって、犯罪発生以前の強制措置を想起させるこの規定についての批判的検討が必要と思う。

3、連動する自衛隊法の条文
  事態法の一部改正により、緊急対処事態に関する前述の条文が入ったことは前記の通りである。 これを自衛隊法78条のその他の緊急事態という文言や自衛隊法81条の、 要請による治安出動の要件である治安維持上重大な事態という文言にてらしてみると、 緊急対処事態の認定がなされることが治安出動につながることへの留意、警戒が必要と思われる。
  このことによって、従前は間接侵略、又は、これに準ずる事態 (つまりは、国が秩序が保てない内乱かそれに準ずる事態である) にしかできなかった自衛隊の治安出動の要件がぐんと低くなったと思われるのである。前述したように、 緊急対処事態の定義は多数の人の殺人、傷害、又は、その明白な危険が切迫しているという以外に、限定要素をもたない。 その緊急対処事態が政府によって認定されれば、自衛隊の治安出動ができるようになったとされかねないのである。
  前述の内閣官房が行った図上演習によれば、松本サリン級の事件が2件併発したことで緊急対処事態になっているから、 自衛隊の対内出動の要件は事例に即してみても軽くなった、ということになる。

4、緊急対処事態の下で課せられる放送局の法的責務と問題点
  回り道をしたようだが、法の規定によれば、緊急対処事態とは、これだけ容易に事態法が動き出すことを意味するのである。 同事態では有事でもないのに、自衛隊の治安出動がありうるのであり、市民の人権との葛藤を生ずる。

  それは報道機関としての権力監視の責任が高まったということを意味する。
  であるのに、事態法、国民保護法は次のように定めている。政府が緊急対処事態だと認定すれば、 放送局は直ちに 「事態の現状及び予測」 「事態発生の地域」 について、政府の発した警報通りの放送を行う責務があるというのである。 (国民保護法五〇条)。
  松本サリン事件報道の教訓として、さかんに言われてきたのは、権力の流す情報に依存することの危険であり、 嫌疑をかけられている側からの取材による権力情報の検証だったはずである。
  このままでは、松本サリン事件同様の、むしろさらに大きなあやまちが繰り返される危険が大きいと言わざるを得ない。 指定公共機関としての警報伝達責務を負いつつ、同時に、報道機関として報道の自由を行使してゆくためには、よほどの覚悟と法律上、 技術上の研究・準備が必要になると考える。

  第三、報道機関の対応の現状と、提言、要望

  実は緊急対処事態を想定した訓練は、もう1回行われた。二〇〇五年一一月二七日の原発をかかえる福井県の国民保護訓練である。
  新聞、テレビがこれにいかなる反応をするか注目していたが、残念ながら、緊急対処事態という文字が一行入っただけで、批判的、 啓蒙的コメントはほとんど見受けられなかった。

    各放送局の国民保護計画に関するウェブサイトを見ても、緊急対処事態の下では武力攻撃事態に準じて責務を果たす、 と記されているだけであり、この責務の下で報道機関が市民に対して負っている責任をいかに果たすのか、という気迫も、手だても、 発信されていない。

  今後に向けたいくつかの提言を試みたい。
  第1は指定公共機関の返上についての再検討である。
  あまりに自由を束縛し、権力監視機能を弱体化させる指定公共機関の返上もありうるという柔軟性をもち続けてほしい。
  硬直したように受け取られるかも知れない原則論をあえていうのは、受けてしまった以上やむをえないという態度があると、 あとは一瀉千里、官側の言うとおりのことが実現してしまうからである。
  放送局は言論報道機関であるという矜持を持ち続けてほしい。

  第2は指定公共機関についての情報公開と報道を行うことである。
  各局は総務省、都道府県との間で国民保護計画に関する協議を進めてきたはずである。
  指定公共機関の責務の詳細は、法ではなく自治規範の体裁をとった各局の国民保護計画で規律されることになっている。
  どれだけ報道の不自由があるのかは、国民保護計画とさらには文字化されない協議実体が公開されなければ、市民にはわからない。 ウェブサイトでは多少の公開があるが、主務官庁との協議の実体はわからない。
  指定公共機関問題は、放送局がどうするかというメデイア内部の問題にはとどまらない。 本稿でみてきたように市民にとって見過ごせない重大問題である。つまりニュースである。放送局はウェブサイトだけでなく、 自己切開のつもりで放送番組をつくるべきだと思う。

  第3に指定公共機関であることと、報道機関であることの両立の手だてを研究することである。
  指定公共機関の責務が動き出すときこそ、報道機関の権力監視機能の使命は高くなる。
  事態法にいう3事態の認定が武力攻撃事態法に定める要件を真に備えているのか、情報にあやまりはないのか、 検証して報道するという役目をいかに両立させるのか覚悟と技術が必要である。
  そのための準備と研究を是非すすめて頂きたい。

  知る権利の負託を受けた報道の自由の保障は、この国が民主主義社会であり続けるための最低限必須の要件である。
  よく繰り返される警句をここでも引用したい。
  「もし道にまどうことあらば初心に帰れ。」