言論統制    梓澤和幸


個人情報保護法新法案に対する意見書 (4月16日)

個人情報保護法新法案に対する意見書
2003年(平成15年)4月7日
東京弁護士会
会 長 田中敏夫
意 見 の 趣 旨

   当会は、個人情報保護法の新法案に反対である。

意 見 の 理 由

1  表現、報道の自由等を抑圧するとして世論が厳しく批判した旧個人情報保護法案は、2002年12月の臨時国会で廃案となったが、本年3月7日、政府は同法の新法案を閣議決定し、国会に上程した。

2  新法案には、旧法案と比較して次の特徴がある。
  第1に、旧法案が個人情報の 「利用目的による制限」、 「適正取得」 ないし 「透明性の確保」 等の遵守を「基本原則」として定めていたのを全て削除し、単に 「基本理念」 として、個人情報は 「適正な取扱いが図られなければならない。」 との規定を置くに止めたこと(3条)
  第2に、主務大臣の権限行使に関して、旧法案が、主務大臣は表現の自由等を 「妨げることがないよう配慮しなければならない。」 としていたのを、新法案では 「妨げてはならない。」 との文言を用いて、より直接的な禁止、制約規定にしたこと (35条1項)
  第3に、個人情報取扱事業者が報道機関等に対して個人情報を提供する行為については、主務大臣が権限を行使しないとする規定を新たに設けたこと(35条2項)
  第4に、法の適用除外を拡大し、 「著述を業として行う者」 が 「著述の用に供する目的」 で個人情報を取り扱う場合も、個人情報取扱事業者に対する義務規定の適用がないとしたこと、また、旧法案でも適用除外とされていた「報道機関」の中に、 「報道を業として行う個人を含む。」 と明記したこと、さらに、法の適用除外に関する基礎的な概念である「報道」について定義規定を設けたこと(50条)。

3  この新法案は、表現、報道の自由等を守ろうとする世論の厳しい批判を反映してはいるが、主務大臣の強力な権限の発動によって、報道の自由等も含めた市民的自由、さらには弁護士、弁護士会の活動が重大な制約を被る不安、懸念は未だに全く払拭されていない。
  第1に、市民的自由への侵害の懸念である。すなわち、法案は、 「個人情報取扱事業者」 にさまざまな義務を課し (15条〜31条)、主務大臣が、事業者の個人情報の取扱に問題があると認定したときには報告を徴収し (32条)、必要があれば助言し (33条)、勧告、命令し、緊急な場合には違反行為中止等の措置命令を課し (34条)、命令違反に対しては刑罰を課す (56条) 構造となっている。
  ところで、ある者が 「個人情報取扱業者」 に該当するか否かは 「取り扱う個人情報の量及び利用方法」 により政令で定められることになっているが (2条3項4号)、団地自治会、同窓会、著述家の団体、労働組合、生活協同組合等、営利事業者以外の団体、個人もこれにふくまれる可能性がある。なぜならば、一般に 「事業」 とは、 「一定の目的をもってなされる同種の行為の反復継続的遂行」 を意味し、営利の要素・目的を必要としないとされているからである。本法案を立案した内閣官房個人情報保護担当室も、その旨を繰り返し言明している。
  現代社会においては、市民団体や個人が名簿を作成し、メーリングリスト、ホームページなどを用いて情報を流通させることは、集会、結社、表現などの市民的自由の発展にとって不可欠の行動である。社会的に影響力のある行動をとろうとすれば、多くの人に通知等をすることが必須であり、現に多くの市民団体等が相当量の個人情報を取り扱っている。そのような状況において、主務大臣が個人情報の取扱方法等を口実に、市民団体等の活動に介入する権限を有することは、市民的自由にとって重大な危機、脅威といわなければならない。
  とりわけ、法案のいう 「個人情報」 とは、特定の個人を識別できる情報のことであって (2条1項)、プライバシーよりも広い概念であり、プライバシー侵害行為でなくとも、 「個人情報」 の取り扱い方法を巡って主務大臣の権限が発動されうることを考えれば、その懸念は決して小さくないものである。
  第2に、弁護士、弁護士会の活動に対する不当な干渉の懸念である。弁護士、弁護士会の業務は個人情報を反覆継続して取り扱うことが不可欠であるから、法案の上記規定によれば、弁護士、弁護士会も 「個人情報取扱事業者」 とされる可能性は大きい。したがって、主務大臣が個人情報保護を口実に、弁護士、弁護士会の行動に干渉する余地があるのである。

  しかも、個人情報取扱事業者の上記義務規定は 「個人情報取扱事業者は、……必要かつ適切な措置を講じなければならない。」(20条) 等、極めて曖昧であるため、主務大臣の主観的な判断により、弁護士、弁護士会は主務大臣から報告を徴収され、助言され、あるいは勧告、命令、措置命令等を課される恐れがあるのである。
  あらためて述べるまでもなく、弁護士、弁護士会の活動は、事実、真実の上に成り立っている。弁護士による事実の調査は、ときとして個人情報に深く立ち入らなければならない場合がある。たとえば、国家賠償請求事件や冤罪事件において、国や自治体の職員等の違法行為を立証するため、相手方の個人情報に立ち入って調査活動をしなければならない場合もありうる。そのような場合に、主務大臣が、個人情報の保護を口実に弁護士、弁護士会の活動に不当に干渉することは、真実の発見を困難にし、市民の権利擁護を不可能にしかねない。法案は、弁護士、弁護士会の人権擁護、権利保護のための活動や弁護士自治にとって許容しがたい構造、内容となっている。
  第3に、表現・報道の自由への侵害の懸念である。たしかに、法案では、主務大臣の強力な権限は報道機関等に対しては適用除外とされ、新法案では、この適用除外対象に、新聞、テレビ等の報道機関のほかに、 「著述を業として行う者」、すなわち著述業者や個人のジャーナリスト等も含められることになった。

  しかしながら、 「著述の用に供する目的」 か否かの審査権限は、依然として主務大臣が掌握しているし、報道機関一般に関しても 「報道の用に供する目的」 か否かの審査権限は、同じく主務大臣が掌握している。主務大臣は、報道目的でないと判断すれば、表現、報道行為を差止めることができ、これに従わない者は処罰される危険もある。報道や表現の上に、主務大臣という公権力の監視の眼が光ることに変わりはないのである。
  このように、報道、表現の自由が抑圧される危険は去っておらず、今後とも報道機関や表現活動に携わる人々の新法案への監視、批判等の活動が期待される。

4  個人情報の保護は、個人の尊厳を保障するために必須の、極めて重要な課題である。しかしながら、その課題は、市民的自由、報道の自由等との適正な調整、バランスの確保のもとに追求されなければならない。また基本的人権の擁護と社会正義の実現を目的とする弁護士、弁護士会の活動が不当な制約を受けることがあってはならない。
  個人情報保護のありかたは、その侵害が営利事業者による場合と、一般の市民団体、個人による場合とで異なってしかるべきである。営利事業者の場合には、金融、通信、医療など個別の分野ごとに個別法により、ときとして公権力の発動を含む規制も導入すべきであるが、他方、一般の市民団体、個人の場合には、市民社会内部での自主的規律による解決の途を目指すべきである。個人情報の流通を一律に包括的に規制し、公権力の監視の下におく方法は誤りである。


5  以上のとおり、依然として一律に、刑罰を背景とした主務大臣の広範な規制権限の発動により個人情報を保護しようとする新法案に対して、当弁護士会は反対の意思を表明する。

   以上