放送レポート 195号 2005年7月 発行●メディア総合研究所
弁護士 梓澤 和幸 立教大学教授 服部 孝章 沖縄マスコミ労協議長・沖縄テレビ報道部記者 宮城 歓 テレビ朝日報道局次長 渡辺 興二郎 コーディネーター/本誌編集長・メディア総研事務局長 岩崎 貞明
日本は、戦後日本国憲法の中で、武力攻撃を受けるという事態を想定しないまま来ていますが、 放送局が有事法制の中で政府の機関として組み入れられるということにどういう問題があるのか、 その中で放送局のあり方や放送の内容がどのように変わってしまうおそれがあるのかについて議論するのが本日の趣旨です。 キー局は昨年9月、政府から指定公共機関に指定されましたが、指定を受ける際に政府からどういう説明があり、 また社内でどういう議論を経てこれを受け入れる判断をしたのか、渡辺さんにご紹介いただきたいと思います。 渡辺 いまメディアを取り巻く状況というのは相当厳しいところに来ているのが実状です。 メディアに対する一般市民の厳しい見方を活用する形で法律をつくつて規制をしたいという人たちも確実にいる。 そういう大きな流れの中で、指定公共機関という問題も語られるのではないかと考えています。 きのう閣議決定が行われて、政府の基本指針が決まりました。内閣府のホームページにはすでに掲載されています。 それが30日に官報に掲載され、政府としては、基本指針が正式に決まって公表したという手続きを踏むことになると思います。 2003年から04年にかけて一連の有事法制が成立しました。その中でわれわれがよく目にしたものは、武力攻撃事態対処法と、 それをベースにした国民保護法です。この国民保護法をベースにして指定公共機関が指定されました。 指定公共機関というのは、日銀、日本赤十字社、鉄道会社、原子力関係、電力会社、道路関係の会社などで、 合わせて一六〇が国に指定されました。その一六〇の中で放送局は、NHKを入れて二〇局が国の指定になりました。 NHKは当然一つで、残り一九が民間放送です。東京、名古屋、大阪のテレビ局そしてラジオ局で、 県をまたがって放送エリアがあるということで国が指定した、ということになっています。 指定を受けた局は国民保護措置──有事に国民を守るためのいろいろな措置──を有効に行う業務計画を策定しなければならない。 これは 「マスト」(=義務) です。4月1日から業務計画の策定作業を行うとなっております。 それで一六〇の団体が業務計画をどういうふうにつくるのかを書き込んだのが基本指針ということです。 現在も国民保護措置へ向けて業務計画策定の政府側の作業が進んでいるとご理解ください。 具体的に放送局は何をやらなければならないのか。大きく言うと三つに限定されています。 一つは、たとえばある国が攻撃をしてきたという警報の発令です。法律には 「警報等」 と書いてある。 「等」 というのは発令および解除ということです。二番目が避難の指示等。最後に緊急通報。放送局に関して言えば、 法律で定められたマストは三つです。あえて言えば、三つ以外はマストではないとわれわれは認識しています。 国民保護法が成立したのは04年6月で、成立して三ヵ月後に施行されました。 放送業界の所管はもちろん総務省になるのですが、この法律全体の担当は内閣官房ですから、彼らとの接触、問いかけ、 回答などというキャッチボールを、ずっとやっていました。 いま放送業界は、新聞もNHKも含めて激烈な競争をしていますので、もし一朝事があれば、 人様から言われなくても懸命に報道をする。激烈な競争がいいか悪いかというのはまた別の議論になると思いますが、 ともかく、乱暴に言うと 「言われなくてもそんなことは報道する」 というのがわれわれの基本的なスタンスで、 それは政府にも繰り返し伝えました。 それに対して、国会の審議が始まる前の段階で、政府としては 「NHKは当然国の指定公共棟関に入る」 と考えていたはずです。 国民保護法の前提となる武力攻撃事態法の中に、NHKが国の指定公共機関として具体的に例示されています。 それに対して政府のほうは 「もしNHKが、ある特定の部隊から攻撃を受けて放送ができなくなったときは、民間放送に頼るしかない。 だから指定してお願いするんです」 と、政府の担当者は答えています。 われわれは 「そういう事態になったら、懸命に報道する」 と答えました。 そうしたら先方は 「国民の皆さんにそれを担保しなくてはいけないから、法律や政令に書き込ませていただきたい」 という。 複数回にわたって同じようなやりとりをした経験があります。ちなみに私はテレビ朝日の報道局にいますが、 民放連報道問題研究部会の幹事をやっていて、いろんな折衝に立ち合いました。
法律は、業務計画を内閣総理大臣に報告しなければならないとなっています。 当初は、「政府と協議をしながら」 という文言がありました。われわれは 「事前協議はできない」 と強く反対したので、 そのかわりに、必ず内閣総理大臣に報告してください、という報告義務を法律の中で課しています。 ただ問題がクリアされたのではないというのは、内閣総理大臣はその際に必要な助言を与えることができる、 という表現を法律の中に盛り込んでいます。われわれは最後まで、必要な助言とは何なのだ、助言の法的根拠は何なのか、 とずいぶん議論をしましたけれども、「助言に法的拘束力はございませんのでご理解ください」 という言い方を向こうはしてきました。 最終的に、向こうが押し切る形でこういう法的な枠組みができたという経緯でした。 いま縷々申し上げている枠組みというのは、基本的には指定公共機関でも指定地方公共機関でも同じだと私は考えています。 指定地方公共機関の場合には、都道府県の知事が総理にかわって同じような作業をするという形になっています。 業務計画というのは、われわれも明確なイメージはいまの段階ではありませんが、 災害対策基本法に伴う防災の業務計画というのがすでにあります。これは、人為の介在しえない天変地異=台風、 地震で大きな被害が出たときに放送局はどうするのか、というものです。これに関しては、 NHKが国の指定公共機関、民間放送は指定地方公共機関の指定を受けています。NHKは昭和37年に国から、 テレビ朝日は昭和48年に都知事から指定を受けています。 この業務計画というのは非常に概略的、概念的で、いざという時は社長以下が対策本部を設ける、 報道と技術と編成と一緒になってやる、態勢はこのぐらいにする、などというものです。 私は有事法制に伴う業務計画も、できるだけこういう簡単なものにするべきであろうと個人的には思っています。 政府の発想の基本にあるのは、災害対策基本法に伴う業務計画です。だからといってわれわれが類推できないのは、 災害と有事は全然質が違うということです。災害には、基本的に人為は介在しません。 目の前で家が倒れたり人が傷ついているのをまず助けなくてはいけないというのが前提ですから、マスコミが一生懸命対応しても、 それに反対する人はおそらく誰もいないと思います。しかし、有事ということになりますと、 これは国とか公権力とか特定の人々の判断が入るから、同列に考えてはまずいというのはベースとしてあると思います。 災害対策は、基本的には下からの積み上げです。市区町村がまず一生懸命やる。 それでできないことは都道府県で、それでもだめだったら国でやる。ところが、有事法制に伴う国民保護措置は、国がまず発令する。 その後に都道府児、市区町村と、ベクトルの向きが逆になっているという感じがあるので、これも一つのポイントになると思っています。
沖縄の国民保護法に基づく指定地方公共機関の動きというのは、全国に比べてちょっと遅れています。 去年の12月末に四七団体が指定地方公共機関の候補に挙げられました。 その中には、電気、ガス、それから運輸関係、離島航路の船会社まで含まれて、かなり幅広い指定になっています。 沖縄県内の民放五局=沖縄テレビ、琉球放送、琉球朝日放送、FM沖縄、ラジオ沖縄が含まれています。 他の都道府県の状況を見ると、全県をカバーしているところが指定の基準になっているようですけれども、 沖縄の場合、FM沖縄や琉球朝日放送のように沖縄本島だけ電波が流れているというところも含めて 指定地方公共機関の候補にしています。地元の新聞も結構大きく取り上げて、関心が広がっています。 現在、沖縄県のほうで指定地方公共機関についての説明会を開いていまして、 5月、6月ぐらいにもそれぞれの指定地方公共機関に指定の承諾を出していくといったスケジュールになっています。 指定地方公共機関の問題に関連して、国民保護条例案が2月の県議会で出されました。 県の国民保護計画をつくるために知事が国民保護協議会という諮問機関をつくるのですが、 そのために条例がいるということで提出されました。 県議会で論議が行われましたが、継続審議になって成立しませんでした。 沖縄戦の体験とか、米軍基地が75%集中する状況ということもあり、やはりちょっとした議論だけでこの条例を通していいのか、 というような危機感が県議にもあって、保守、革新、与野党間わず全会一致で継続審議となっております。 私からは二点、提起したいと思います。一つは、国民保護法制が沖縄戦から見たときに非常に問題があるというところ。 二つめは、国民保護法が想定している有事というのは、実はアメリカ巻き込まれ型の有事ではないのか、という点です。 きょう3月26日というのは沖縄にとって非常に意味深い日で、ちょうど米軍が沖縄本島のそばの慶良問諸島に上陸して、 4月1日に沖縄戦が始まっています。国民保護法には、沖縄戦をテキストにしたのではないか、と思われる部分が見受けられます。 1944年、当時の沖縄県は船を使って県外への疎開を始めます。沖縄の人口六一万のうち一〇万ぐらいを、 疎開船を使って九州を中心に本土に送っていくのですが、 疎開船自体が米軍の攻撃で撃沈されて犠牲が出たことが沖縄県内に広まって、 「本土への疎開はいやだ」 という人がたくさん出て、県外疎開はあまり成功しませんでした。 1945年1月以降にも疎開の時期があり、この疎開の計画は軍が指導しました。 軍としては、沖縄戦が始まるという想定で動いていて、沖縄本島を北部、中部、南部の三つに分けて、 中南部に要衝を築いて防衛線を張って戦い抜くといった態勢をとっていました。 中南部にいる住民で戦力になる人はどんどん徴用・召集していく。 戦力にならない人は戦いの妨げになるので北部に送ってしまおうということで、 沖縄の北部はかなり山深いところですが、一〇万人ぐらいを山に送るという計画を立てました。 実際に三万人ぐらいが北部に移動させられましたが、食料を確保してなかったり、 受け入れ態勢が完璧じゃなかったということもあり、飢餓が起こったり、 マラリアで亡くなったり、沖縄戦が始まって敗残兵が食料を住民から奪ったりして、 かなりの犠牲者が出ています。 沖縄戦での住民の避難は、住民の保護という観点もあったかもしれませんが、 やはり軍がいかに行動しやすいようにしていくかという軍隊の論理があったのではないかと考えています。
これは、戦争に勝つという目的の中で、協力を依頼されてもノーと言えない状況があったと思います。 自発的な意志に委ねられると書いてあっても、実際に沖縄戦では強制的に動員される状況もあった、と指摘したいと思います。 沖縄戦で沖縄のメディアがどういった役割を果たしたか、ということも触れておかなければいけません。 沖縄のメディアは大本営発表も流しましたし、沖縄の住民を戦場に駆り立てるような報道もした。 軍の記者会見なども逐次載せて、「米兵に対して県民一人ひとりが戦っていかなければいけない」 と戦場に住民を駆り立てていった。 その結果、正規の軍人よりも住民の犠牲者のほうが多かったという状況が生まれています。 戦前の沖縄メディアは、戦時体制を担ってしまったという強烈な反省があり、 その中から、戦後の沖縄メディアが立ち上がっていった経緯があります。 二点目の、有事は米軍巻き込まれ型だという点に入ります。戦後、沖縄は米軍統治の下にありますが、 そのなかで戦時体制にメディアが組み込まれてしまったということがあります。 1950年代の後半、冷戦の緊張状態が高まって、灯火管制が行われました。 敵機が襲来した場合、家の灯りを消して爆弾を落とされないようにということですが、 沖縄の初めての民放ラジオ局、琉球放送がその空襲警報を発令しました。 今回、沖縄の海兵隊がイラクに派遣されて、ファルージャの攻撃などに関わりました。 イラクの場合、遠いので沖縄が反撃に遭うことはないですが、これが周辺諸国で起こった場合を考えると、 反撃は必至ではないでしょうか。そこで、アメリカが仕掛けた戦争によって沖縄で有事態勢が発動され、 米軍への協力を強いられるといったおそれがあると思っています。 現在、自衛隊と米軍の一体化という動きが見えますので、 沖縄だけではなく日本全国で米軍巻き込まれ型の有事が出てくるのではないかと思います。 75%も基地があると、平時でも有事に近い状況が発生しております。 01年の 9・11のとき、基地の中がどうもあわただしいということで、 私を含めて沖縄のメディアは基地のゲートに行って取材しましたが、 そのとき米兵が記者に銃を向けたり、撮った写真のデータを強引に没収したりといった報道の規制が行われました。 さらに去年8月13日、宜野湾市にある沖縄国際大学にヘリが墜落しました。 幸い民間にけが人はいませんでしたが、民間の地域に落ちた事故にもかかわらず、米軍は現場を封鎖して、 機体を基地内に持って帰るといったことがありました。その際にも、現場に駆けつけたメディアを排除したり、 カメラの前を手で遮って取材妨害をするといった行動が起きています。 いざ有事になると、米軍は自分たちの論理で動く、ということがわかると思います。 そこには住民の保護などはまったく抜け落ちていて、沖縄でいちばん優先されるのは米軍で、 住民の保護はかなり厳しい状況になるのではないか、というのが基地を抱える中での実感です。 沖縄のメディアとしては、沖縄戦の経験や、米軍基地の過重な負担、 それから離島を抱えているということで懸念を表明しているのですが、 県のほうは政府が出しているマニュアルどおりに事を進めています。 これは非常に問題があると思っていまして、マスコミ労協として2月に県議会に陳情文を出しました。 民放を指定から外すように求めたり、労働組合からも意見を聴取せよという陳情を出しています。さらに要請行動を展開して、 できるだけ指定地方公共棟関の動きをメディアに報道してもらえるようにいろいろな仕掛けをつくつているところです。
計画案の第五段階はグロテスクで、米軍などによる北朝鮮の核施設への直接攻撃、北朝鮮の日本への本格的な攻撃、 ミサイル発射というものです。これからお話する武力攻撃予測事態に当たるのが第二段階ですが、 ここでは、北朝鮮が戦時海域・空域の設定をし、軍事境界線付近での小規模衝突がおこり、 日本と韓国への工作員潜入となっています。第三段階では、朝鮮総連の破防法による活動制限というのが出てきます。 これからお話する柱は二つです。一つは、武力攻撃事態法の中の予測事態ということが報道でも見過ごされています。 武力攻撃事態法の一条を見てください。「武力攻撃事態等への対処について」 と書いてある。 この 「等」 の中には攻撃事態と予測事態が含まれると定義されている。 きょうの朝日新聞を見ても 「武力攻撃事態等」 としか出てない。予測事態とは出てない。 非常に巧みな言葉の操作ですね。武力攻撃事態等、つまり予測事態で対策本部ができるのです。 対策本部ができて、警報発令をすると、放送局はそれを放送する責務を負う、こういう条文になっているわけです。 ではいったい武力攻撃事態等、すなわち予測事態になったということを誰が判断するのか。 アメリカの情報を受け取って、防衛庁と内閣が相談して、総理に決済をもらって立ち上げる。 ドンバチが朝鮮半島のまわりで始まったら予測事態だという。 有無を言わせず民間放送とNHKは 「予測事態です」 と警報で放送するわけです。 新潟県下の地震発生のときだったと思いますが、テレビで演歌の歌手が気持ちよく歌っていたことがありました。 すると突然歌が切れて 「何々地方で震度5の地震」 と速報が入ったことがありますが、 そういうふうに 「ただいま武力攻撃予測事態発生、同本部ができました、皆さんご警戒ください」 と入ってくるわけです。 こんなこと報道したくない、自らの取材によれば予測事態といえないと報道機関が判断しても、 法律上は警報を伝達する責務を負わされています (国民保護法五〇条)。 指定公共機関を受けてしまった以上、その責務はついてまわるわけです。これは報道機関の自殺行為ともいえる。 予測事態よりもっと小規模な、緊急対処事態でも本部ができて警報が発令される (武力攻撃事態法二五条、 国民保護法五〇条)。この警報は、去年11月に、NHKを含む一〇局が図上訓練をやらされた。 そのときに総務省から各局にFAXが流されました。 12月1日付の朝日新聞と毎日新聞だけがこの図上訓練を記事にしたのですが、 そのときの記者は流れたFAXの実物を手に入れることはできなかった。 このFAXを見ると、地下鉄サリン級の刑事事件で、武力攻撃事態等に準ずる事態ということで本部が立ちあがって、 警報が出される。その警報の訓練が行われたのです。 松本サリン事件で河野さんが犯人扱いされましたが、今度は警報を義務として流すことになる。 警察と自衛隊はこういう予防鎮圧措置をとったというのを、警報として、義務としてNHKと民放は流さなければならない。 松本サリン事件以上の冤罪報道がされるおそれが強いと思います。 困るのは市民です。これからは地方の局が指定地方公共機関とされ、 日本中の放送局が総務省と地方公共団体に組み敷かれる。その下で国民が呻吟するというわけです。 なぜこのことが注目され、批判されないのか。その原因の一つは、放送局にあります。 事態の重大性を伝えていない。指定公共機関を本当は返上すべきだと思います。 先ほど述べた図上訓練は新聞に出ましたけれども、テレビでは一秒も報道されていません。 このようすを見ると、いざ警報が出れば、放送局は取材して、「この警報はまちがっている」 とはいえないだろう。 アメリカのつくつた戦争プログラムへ雪崩を打って同調する雰囲気ができていく。 放送はその片棒をかつがされることになるのではないか。 それに反対する少数派は非常識そのもの、というふうに扱われていく空気ができあがっていく。 こういう認識が必要だと考えます。
有事法制全体を通して、障害者あるいは高齢者に配慮しなければならないとあるのですが、 いったいどうやって配慮するのかということは全然出てこないのです。 自治体で点字広報や録音テープなどいろいろなものを考えなければいけないのに、 すべて報道機関に丸投げしてしまえという法律です。そういう意味では、 情報弱者の人たちにとって、有事になったときには 「そこのけそこのけ」 になっていくということが、 この福祉の尊重される時代においてでもあるのかと思いました。 ぼくも去年の暮れに沖縄国際大学に行ってきました。焼けこげた木が残っていましたが、 琉球朝日放送がいち早く駆けつけて、いい映像を撮っている。 米軍が入ってくるのを中から撮しているのですが、校舎から外へ出ようとしたときに、 米兵たちに囲まれて 「ビデオテープを出さなきゃここから出さないぞ」 と言われているところまで撮しています。 それを彼らはキー局のテレビ朝日にその日の夕方送ったところ、テレビ朝日はほんのちょっとしか使わずに流してしまった。 そのときに、われわれは東京であのニュースをどう見たかというと、本当にごく少数です。 朝日、毎日、読売ともにトップは 「渡邉恒雄氏オーナー辞任」 です。左肩に 「明日アテネオリンピック始まる」。 真ん中あたりに三段か四段見出しで 「沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落」 という記事があるだけで、そんなに大きくはない。 ビデオテープを出さないとここから出さないぞ、と言われることがごく日常的な段階で起こったということが非常に重要です。 沖縄国際大学にいた学生よりも米軍のほうが、塀を乗り越えて先に到着しているという事態があったのですが、 大学の自治の侵害をされて怒っていた学生がたくさんいたのでぼくはちょっと感動しました。 僕はそのテープを立教大学で見せて、学生がその部分を感じてくれるのかなと思ったら、全然そうじゃなくて、 米兵の対応には驚いていましたけれども (笑い)。 そのようなことが沖縄で起こっているということは、 周辺事態や予測事態というかなり悪意的な判断がされてしまうような状況がつくられていったとき、 主体的判断なんてあり得なくなっていくと感じます。 自然災害の場合には堤防や警報システムなどが考えられるわけですけれども、 有事の場合には、それを回避するための努力が国に求められているはずですね。 有事法制が想定しているような状況の中では、それをいかに回避するかということがまさに政治や外交にかかっているはずですが、 それは脇に置いておいたまま議論が進められていく。
その一方で、きょうの朝日によると、埼玉県が、ヘリコプターを飛ばせる報道機関はヘリで撮した映像を県によこせ、 と言ってきているのだそうです。 テレビ埼玉は、そんなことを早くから言われていたら指定地方公共機関の受諾はあり得なかったと言っていますが、 このようにどんどん要求が広がってくるわけです。 指定地方公共機関とは違いますが、長野市周辺で起こっていることを信濃毎日新聞の記者が先月話してくれたのですが、 性犯罪者の情報、あるいは性犯罪が起こったという情報が、県や警察から学校を通して、 父母の間で携帯メールで流れ始めているんですね。それが、実名が出ていたり、 尾ひれが付いてどんどん大きくなっていったりしているという。やはり住民の要求はどんどん高まってくるというんですね。 実際の犯罪者かどうかわからない、噂にすぎないかもしれないような犯罪の実態を 「知らせろ」 という声が来ている。 ネット社会というのは、一見便利そうだけど、一度開けた人はより詳細なことを要求し始めてくると言われますが、 この有事法制の中でも同じように、市民の側から要求することが増えてくる。 そのことについてメディアが本当に報道しない。もちろん朝日、毎日、東京新聞はそれなりにがんばっていると思いますし、 産経、日経や読売新聞は、政府の側から見たらよくがんばっていると言えるのだと思いますが (笑い)、 テレビではなかなか扱わないのです。NHKの番組改変問題を対朝日新聞問題にすり替えたり、 あるいはライブドアとニッポン放送の問題を綱引き合戦のように報じていく。 その反面、きょうのテーマになるようなことについてはほんとに少ない。 やってないとは言いませんけれども、耳目に触れるような形では行われてない。 われわれに対する努力義務が果てしなく広がっていく、ということだと思います。 そして結果的に報道機関は報道ではなくて、広報的な役割を果たしていく。 何々を放送してはいけない、何々の記事を掲載してはいけないというのは、言論弾圧の第一段階なんですね。 最終的には官がつくつた情報を掲載、あるいは放送するしかなくなっていくということです。 これは、1945年までずっと日本社会に続いていった。われわれはまさにそのとば口に立っているという、 もう一段階は超えてしまったと考えるべきだと思います。 この4月以降に始まる授業の中で指定公共機関の問題を話していても、 学生たちはおそらく自分の問題だととらえない状況だろうと思います。 やはり知らされてないし、いわゆるメディア規制というのはわれわれ市民にとってあまり関係がないんだという、 つまりメディアが規制されて報道の自由が侵害されるとその被害者は市民であるということを、 1930年前後あたりの歴史でもう一度きちっとやっていかなければいけないだろうと思います。
渡辺 基本的にはテレビ局、メディア総体としての取り組みは必ずしも十分でなかった。 ただ、何も規制がかかったからとか、自主規制云々でということではないということは最初に申し上げておきたい。 これはきわめて現実的な話にもなるのですが、民放連レベルで政府側との交渉をかなり頻繁に行いました。 その交渉の過程で、相当突っ込んだやりとりが、文字通り水面下で行われたのです。 そういったことをその都度ストレートな形で出すことが、 先方との交渉でこっちにとってメリットがあるのかというのはまた別の判断になる、とわれわれは考えました。 ですから、情報発信を封印するのではなく、われわれにとって不利な状況を押しっけられてはたまらないという前提の中で、 向こうとどう交渉して、疑問点を消していくのかということに力点が置かれたのです。 この法律全体をとおして感じられるのは、メディアを含めた指定地方公共機関、指定公共機関を、 政府が下請け的に扱うという発想が非常に色濃く出ているということです。 そういう要素をいかになくしていくかということに微力ながら力を注いだつもりです。 具体的には、埼玉県における国民保護計画の素案で、 ヘリの空撮で撮った被害の状況を県の対策本部長にできるだけ速く伝送するようにという文言が資料の中に書き込まれた。 われわれは、非常に問題があるということで、総務省消防庁国民保護室を通じて、 これは法律でいわれている三項目の範囲からは逸脱しているので受け入れることはできないと強硬に申し入れをしました。 各都道府県で、そういう法律の規範を超えた要求が出てくる危険性はあると思います。 いちばん早く突っ走ったのが福井県です。福井県知事は、西川さんという自治省出身の内務官僚で、 防災のプロでいらっしゃるようですけれども。その福井県がつくった県民保護計画の素案には冒頭に、 わが県は原発施設がたくさんあり、北朝鮮による拉致の問題もあり、ということがはっきり文章化されていました。 われわれから見ると法律の範囲すら乗り越えた動きが出てきたし、 これからも業務計画策定の段階で出てくる危険性は十分にあるので、注意していきたいと考えています。 ではこれから具体的にどうするのかということについて言えば、 心あるメディアとの連携はしていかなければならないと考えています。国民保護法案や武力攻撃事態法案の審議の国会答弁で、 当初政府は指定公共機関にインターネットを例示しました。それがいつの間にか立ち消えになっていたという経緯があります。 以下は私の推測ですけれども、速報性、即時性という長所に着目すれば、当然インターネットも含めてしかるべきですが、 それを入れなかったのは、放送で一点突破を図ろうとしたのではないか。あえて新聞を人れなかったということです。 指定公共機関には新聞社は入っていません。消防庁国民保護室が全国の都道府県に通知を出した中で、 指定公共機関の指定の意味というのは速報性ということにあるから、新聞はそれには必ずしもなじまないので指定はしない、 というのが総務省・消防庁の正式な見解です。 災害対策基本法に伴う災害の業務計画では、指定地方公共機関として一部のローカル新聞が指定を受けています。 その整合性も明確に説明できないのではないか。つまり、政府の説明が相当矛盾に満ちているし、 まず一点を突破すべきだと彼らが考えたのではないか、と私は推測しています。 昨年11月30日の図上訓練は内閣官房が主催したのですが、総務省のセクションが各キー局とNHKにFAXを送りました。 それでどう思ったか返事をくださいと言われたので、われわれはなんらリアリティー、実践性のあるものではない、と書きました。 そんなものは総理大臣官邸で記者会見をやれば生中継一発で済む話なのですが、 そういうレベルのことを彼らがわからないで闇雲にやっているのか、意図を持ってやっているのかというのは、 改めて冷静に考えたほうがいいと私は思います。
宮城 当初、指定公共棟関の候補に挙がったという段階では大々的に報じられましたが、 後続の報道はなかなか扱いが悪いようです。ただ、マスコミ労協で陳情や要請を行って、 それを取り上げてもらうといったこともやっています。テレビ各局はそれなりにニュースで取り上げて、 特集という形で五〜六分のリポートで県民に伝えています。 ただ、やはり沖縄といえども、この間題について詳しく伝えられているかといえばまだちょっと足りない感じです。 今回の基本指針を見ていても、あまりにもリアリティーがない計画で、ほんとにこれで国民が守れるのかという感じです。 むしろ沖縄県のほうがいろんな意見を挙げて、それが反映される形になっています。 たとえば基本指針の中で、離島の避難に関しては自衛隊や海上保安庁の艦船を使って可能な限り搬送すると書いてありますが、 実際に有事が起こった際にほんとうにそれができるのかどうか。大型の艦船が着岸できるような港があるのかということも含めて、 かなり難しいのではないかと考えています。 沖縄県のほうでいま考えている住民避難の方法としては、 たとえば沖縄本島で有事があったときは本島から九州に飛行機を使って運ぶといった方針なのですが、 ちょっと調べたところでは、沖縄の旅客数がだいたいピークの月で一三〇万。沖縄本島の人口が一二〇万。 旅客数は往復なので半分にすると六五万という計算になるので、二カ月ぐらいかけないと沖縄から避難できないことになります。 なおかつ有事になると間違いなく飛行場は自衛隊が使いますよね。 那覇空港は軍民共用の空港ですので、そういった意味でもかなり無理がある計画と言っていいと思います。 今回、県議会で条例案が継続になったことは非常に大きい。 議論の中で、この計画自体のおかしさが出てくると思いますので、引き続きいろんな議論を出していただく、 そういった仕掛けをつくる中で県内メディアで報道してもらう、といった流れを作りたいと思っています。 梓澤 交渉のテクニックとして発表していい時といけない時とがあることはわかるのですが、 基本的な力関係は、内閣官房と個々の放送局の間では放送局はヘビににらまれたカエルですよね。 それぞれの放送局にはあきらめムードがあるのではないか。それを巻き返して、こんなにひどいことを総務省が言ってきたんだ、 と暴露することによって押し返していくことが大切だと思います。 武力攻撃事態法も国民保護法も具体的なことは条文にはほとんど書かれていません。 指定行政機関、内閣官房や総務省の包括的な政令に任せているわけです。国会の審議にかけないで内容がつくられる。 その省令に基づいて放送局に話が来て、密室協議が始まるわけです。密室協議をどれだけ明らかにできるかが、大切だと思います。 もし放送局がそれを明らかにしないのであれば、その協議の結果を出してください、 と放送局に要望することも必要になってくると私は思います。
韓国で80年代まで、突然防空警報が鳴って、全員が地下やビルに入れということがありました。 あるいは夜12時以降の戒厳令、夜12時以降は外へ出てはいけない。 ホテルから高速道路を見ていると、12時前後はものすごい勢いで車が走り回っているんですね、 ともかく帰らなきゃという感じで。まさにそういう状況をつくり出しておくことが、この法案のまずもってのねらいではないか。 訓練の段階で培われていく心構えみたいなものを徐々に広げていこうということになって、 もっと積極的に国民を取り込むし、国民の側ももっと要求が高まるという機能があると思います。 実際に有事になったら、米軍が沖縄国際大学でやったように、自治権を侵害し、報道の自由も侵害する。 この法律が完全に施行されて本部ができたときには、この法律が守られるのじゃなくて、 この法律のことをわれわれが守らせようとするしかないような事態が起きると思います。 岩崎 基本指針の後段のほうは 「平素からの備え」 という項目が目立ちます。 訓練もしくは備蓄、国民保護協議会への参加など、 いろいろな形で平時から政府がやることに報道機関も巻き込まれることになると思います。 たとえば 「米韓合同軍事演習」 などは、練習のためというより、 明らかに北朝鮮や中国に対する政治的なデモンストレーションとして行われます。 有事に対する訓練を行うことそのものが、政治的なメッセージを発することになりかねない。 そこに報道機関が踏み込んでいいのかという問題もあると思います。 そこで、平素の備えとして、報道機関がどの程度までを覚悟するのか、 もしくはこれだけはやらないという一線を持っているのなら、ご紹介いただきたいと思います。 渡辺 われわれは、法律の枠内で定められている三項目がすべてだと思っています。 普段、地震、台風などの対応で具体的に平素からの備えはしています。 バッテリーや演奏所──法律的にはスタジオのことです──が故障したらどうするのか、 というようなことについては当然のこととして準備しています。 それは強制されるものではないと、主張してきました。われわれとしては日常の準備の一環だと考えて、 それ以上は努力義務規定の中には入らないと理解しています。 梓澤 でも、国民保護法の四一条と四二条には、国民保護計画の定めるところによって、 職員の配置及び服務の基準、組織の整備、そのための訓練は 「しなければならない」 と書いてあります。 指定公共機関である以上はこういう義務を背負うのですから、 指定公共機関を返上しなければこの義務からは法律上は逃れることはできない、と思いますが。 渡辺 実は政府との交渉の中で何回か出てきた問題です。 たとえば、社内の配置や服務基準も、業務計画の中に書くというふうに読めます。 ただ、こういう要素に関しては、人の配置などもその都度変わる可能性が高いので、 業務計画に定めるのではなくて、別途の内規で書くと理解する、とわれわれは返事を出しました。 業務計画の中に、だれがこうやってというところまでは書く必要はないと考えております。
まず、民放連は、過去は指定公共機関に反対の立場を明らかにしていたにもかかわらず、 会長が氏家さんから日枝さんに代わって、容認ということになっている。 テレビばかりでなく、有事法制そのものに対してメディア全体が容認傾向になっているのではないのかという質問です。 次に、警報の放送は緊急対処事態でも国民保護法に準用規定があるという指摘。 また、かつて桐生悠々が批判した関東防空大演習のように、 そもそもナンセンスな事態を想定して国民に新たな義務を課すということ自体が問題なのではないか。 にもかかわらず国会で九割の賛成で有事法制が成立したという事態をいったいどう考えるかという質問です。 それから、キー局が押し切られてしまうと、ローカル局もある種立場が決まってしまう部分があると思いますが、 キー局が指定公共機関として指定されて警報を放送する場合に、それはネットで流れるのかローカルのレベルで止まるのか。 キー局が指定公共機関になったということの意味は、それでもって地方まで政府の情報を流せということを含んでいるのか、 という問題です。 服部 人権擁護法案をはじめさまざまな法案がつくられている中で、メディアが追いつめられている部分があると思います。 埼玉県の保護計画の素案にあった、ヘリの撮った映像情報を提供しろという話は、実際にテロが起きたときには、 航空管制によってヘリコプターが自由に飛べないでしょうし、取材だって制限を受けるはずですが、 そこで得た情報はよこせということです。国の責務じゃなくて、 国が国民やメディアにいろいろな要求をしてくる象徴的なことだと思います。 法案の段階でもっと反対があって、民放連も会長が代わらなければよかったと思います。 基本指針ができて、実施されようとしているときに、とにかく徹底的に開示すべきだと思います。 訓練についても 「訓練させられた」 という形で伝えていく。 そのことが結果的に有事状況を回避することへつながっていくのではないか。 この法律や制度を座視しているということは、まさしく憲法改悪です。 自民党の改憲案などは、プライバシーだの知る権利だの、いい言葉が出てくる反面、 青少年保護を表現の自由の制約に盛り込むなどなど、とんでもないことが書き込まれようとしている。 そういうことについてもきちっとした情報提供をすることにつながると思うので、 指定公共棟関の問題についても定常的な形で、 テレビもニュースで必ず一分でもいいから毎日流すというようなことをやってほしいと期待します。 梓澤 言葉の問題というのは大事だと思います。武力攻撃事態等と言うのは、本当の狙いは予測事態です。 指定公共機関の問題を明らかにするのは予測事態と緊急対処事態です。この言葉で迫っていくということが大事だと思います。 「これじゃ、いざというときに住民を助けられない」 という批判があります。 求められているのはそういう批判の方法ではない。武力攻撃事態ということばは、 実際にミサイルが飛んできたときに国民を助けられないじゃないかという恐怖感を中核にしています。 それを公共の福祉という概念に置き換えて、あらゆる人権がそれに従うべきだ、 国民の命が危ないから人権が制限されてもしょうがないじゃないかという論理が形づくられる。 そしてその論理が予測事態や緊急対処事態のときにも、のさばってくる。 そこが戦時法制のいちばん中核的な問題なんだということを、批判の角度として定めるべきだと私は思います。 いまメディアの危機ということが言われています。 報道の自由や表現の自由というものをどう定義することによってこの陸路から脱出するのか、が大切です。 私たち一人ひとりの人間とは、自分で運命を選び取っていく尊厳ある主体だと思うのです。 その尊厳ある主体が、目の前を曇らされようとしているときに、曇らせるものを排除するのもまた人権です。 国際人権規約一九条の表現の自由の項にはそう書いてあります。 国家権力や大規模企業に干渉されずに自分の意見を持つ権利。憲法を変えるか変えないかを選び取る権利。 戦争するか、しないかを選び取る権利。これは、どんな公共の福祉を持ってきても干渉することはできない。 そこにメディアというのは貢献すべきだと考える。このような考え方が、市民とメディアの間に開いた溝を埋めて、 市民と共に表現の自由、報道の自由を守り抜いていくことになる。そういう方向性が、問われているのではないかと思います。
これは米軍の戦時体制に巻き込まれ、それを補強するという形でしかないのではないかと感じています。 沖縄戦の経験で沖縄の人がいちばん痛感しているのは、軍隊は住民を守らないという教訓です。 当初は軍人が守るということで一緒に行動していましても、戦争が長期化する中で、軍隊は軍隊の論理を優先し、 守るものは住民保護とは違うものだったというのが、沖縄戦で学んだ経験になっていると思います。 戦争のときに真っ先に犠牲になるのは 「真実」 ではないかと思っています。 メディアが戦時体制に組み込まれるということがその第一歩だと思いますので、 沖縄のメディアの労働組合としては、一致団結して指定地方公共機関に指定させない、 経営者には指定を受けないように言う、ということを今後取り組んでいきたいと思っております。 渡辺 もう一回確認しますと、警報の発令をするのは内閣総理大臣です。 それを受けて、必要があるときには避難の指示をする。それは都道府県知事の権限になります。 もう一つ、緊急通報というのは、それを受けてやる場合と、知事が独自の判断でも緊急通報は出せるという枠組みになっています。 内閣総理大臣が警報を発令すれば、おそらくそれは放送業界で言うマスターカットになると思います。 何を放送していても、いきなり臨時ニュースになる。マスターカットは全国的なニュースですから、 おそらくローカル各局も全部乗ることになると思います。 それを受けて、内閣総理大臣が避難措置を都道府県の首長に要請して、都道府県は避難の指示を出すということですが、 それが日本全国なのか、どこかの県だけなのかはわかりませんが、いずれにしろそれはきわめて大きなニュースですから、 県知事が記者会見をやったら、それは当然全国で緊急に放送することになると思います。緊急通報も同じだと思います。 これからの作業としては、そういうときにどう連携するのかということで、 国と地方の指定公共機関同士のテクニカルな詰めが必要になってくるのではないかと思います。 去年の6月に国民保護法が制定されたときに、それを合わせて七つの法律と三つの条約が決まりました。 ほとんど報道されてないのですけれども、三つの条約の中には、捕虜の取り扱いに対するジュネーブ条約というのもあったのです。 捕虜を人道的に扱うという当たり前の話ですけれども、いままで日本は戦争をしないという前提で成り立っていた国ですから、 そんなものは必要なかったんですよね。それを日本が承認したということは、 捕虜という存在が場合によっては日本にも出てくるということを国として認めたということになります。 状況はそういうふうに変わって来ているということです。国民保護法や武力攻撃事態法はいろいろ問題にされましたが、ほとんど 報道されなかったところに意外にドラスティックな変化が見えているのではないか、という感じがしました。 岩崎 まさに、マスターカットで大きなニュースとして扱うということに、 今回の指定公共機関のポイントがあるのではないか、と思います。 政府が自らの判断で出した情報を、報道機関の編集権を経たニュースとして視聴者に提供するということが、 結果として国民を誤導するという構造になるというおそれがあると思います。 どう切り分けるかというのは難しい問題ですが、 そこに報道機関が政府の一部として利用されてしまってはいけないという根拠があると思っています。 本日はありがとうございました。 |