対談
梓澤和幸×服部孝章

言論の自由の根底を問う

NHK番組改変、人権擁護法案、
国民投票法案をめぐる徹底討論

1.のしかかる不自由
2.NHK問題と政治介入
3.メディアと「指定公共機関」問題
4.人権擁護法案の問題点
5.国民投票法案と憲法改正
メディアと「指定公共機関」問題

梓澤 指定公共機関をめぐる問題では、武力攻撃事態法の仕組みの構造に目を向けることが必要で す。武力攻撃事態法では、武力攻撃事態と同予測事態にいたったときに、対処指針が作成され、対 策本部ができるという仕組みになっている (同法九条、一〇条)。
  同法と国民保護法では何度も武力攻撃事態等という言葉が出てきますが、この「等」とは武力攻 撃予測事態のことなんだということが見過ごされています。
  「予測事態」 は伸縮自在な概念でしかも誰が予測事態にいたったかを認定する手続きがない。ア メリカの情報により、北朝鮮が戦争準備をしていると防衛庁が告げられ、それを内閣総理大臣に報 告し、それを了承すれば対策指針と対策本部ができ戦時体制に入るのです。国会の承認手続きは一 切要らない。総理大臣たった一人の判断で戦時体制に突入し、それをチェックする仕組みがない。
  そして非常時になるときの訓練、物資の備蓄準備が政府と地方公共団体、指定公共機関の義務と されます。したがって、いままで戦時になれば自由が制限されるという言い方をされて来たのです が、私はそうではないと思っています。予測事態、緊急対処事態という概念を用いて平時から国民 の自由を振り回すことができるということが、問題のいちばんのポイントです。
  「琉球新報」 が一九九九年四月八日報道 (共同通信は前日配信) しましたが、一九九四年の朝鮮 半島核危機のとき、日本政府には青写真があって、それによれば危機が五段階でエスカレートして いき、第五段階ではアメリカの北朝鮮核基地攻撃、北朝鮮ミサイル発射というデザインが描かれて いた。そこにいたるまでに、海上封鎖とか、朝鮮総連の破防法による活動制限とかが記述されてい る。おそらくこれと同じような、日本を戦争に巻き込んでいくプランが現在もあるでしょう。それ は明らかにされていませんが、そういうプランをみるとわかるように、緊張が高まっていったとき に、外交努力でなく軍事的な選択肢をアメリカや日本の政府が選ぼうとする危険がありえます。そ のときにかかる選択肢の元になった情報は違うとチェックをする力量をもっているのがメディアな のです。ところが、ある状況について政府がこれは武力攻撃予測事態だとして対策本部をたちあげ たとき、あるいはその動きを察知したとき、テレビメディアはその動きと反対の情報を把握してい ても果敢にその反対情報を流したり、政府の方針を論評することはできません。なぜなら、国民保 護法によって、指定公共機関となった放送局は政府の流す警報をそのまま放送することを義務付け られたからです。
  それからもう一つ、武力攻撃事態でもなく予測事態でもない緊急対処事態というものがあります。 これについては有事法制や憲法の研究者の誰一人として論文を書いていないのです。武力攻撃事態 法の二五条と二六条に出ていますが、地下鉄サリン事件クラスの大規模事件が発生したときは、緊 急対処事態とされ、同じように対処対策本部ができ、警報が発令され、放送メディアはこれを放送 する責任を負わされます。
  去年の一二月一日の 「朝日新聞」 記事によれば、総務省のもとで指定公共機関の指定を受けた放 送局に、有事が来たときの図上訓練をするというファックスが送られてきた。そのファックスの内 容は記事でも出ていませんでしたが、それを実際に見ると戦時でもないのに地下鉄サリン級のテロ が発生したというだけで緊急事態対策本部ができ、戦時と同様の権利制限をやれるようにした。予 測事態であれ緊急対処事態であれ、それぞれの対処本部ができて、その一方的な事実認定に基づい て、放送局が政府の警報の放送を義務付けられるのが指定公共機関に指定された放送局の責務となっ ているんですね。
  指定公共機関になった放送局は、権力の言ったことをそのまま放送するということになっている わけですが、事実かどうかを検証して流すのが放送機関の責任であり義務なわけでしょうパところ が、その報道機関たるゆえんの権力監視という牙を抜かれてしまう。それを日常的にやられたらた まったものではない。
  では、どのような要件で武力攻撃事態と予測事態、緊急対処事態の警報を出すか。それについて 国民保護計画をめぐる協議が四月から始まりますが、それを報道する動きが出てこない。そのこと を私は非常に危倶しています。
服部 三月二五日、閣議で基本方針が決定されましたが、梓澤さんが言われた国民保護計画等の作 成手続きを読んでいくと、最後に 「広く関係者の意見を求めるように努める」 とあります。この国 民保護計画を読むと、社会を守るための基盤、対権力、仮想敵国に対する保護という問題からずい ぶん遠くへ行くなと感じます。そんな中で、はたして警報や避難の指示や緊急通報がきちんとされ るのか。
  有事であろうが予測事態であろうが、国には国民の生命を守るため、迅速にさまざまな情報を提 供しなければいけないという責務がある。市町村広報や都道府県の広報は、住民全部に行きわたる ように、放送局にそれを指示していますが、メディアもそれに協力してくれということだと思うの です。
  ところが、国の本部の責務である国民保護といいながら、自分たちがもっとやらなければいけな いこと、つまり情報弱者をどうするのかということはまるで入っていない。これは、有事になると いつでも弱者が切り捨てられていくという、危倶を残す法体系になっています。
  それからこの法には、報道機関が平時の中で業務計画を策定して、報告する義務があります。そ して、国民の保護のための措置に関する訓練の実施ということが書かれている。つまり、平時にお いて何度も訓練するわけですね。
  こうして巻き込まれていく。それは小学校や中学校などでの避難訓練の日常化であるわけです。 子どもたちが避難訓練を何度もやっておくというのは、それなりに意味があるとは思いますが、こ れはやればやるはど、つまりは心構えを作ってしまうわけです。
  その心構えがかもし出されていくことによって、報道よりも広報をいかに伝えていくかに、どん どん擦り寄っていく。広報することによって、報道機関としての責務になり、そのため報道機関が それを事実かどうかを検証することや、国の利害とは別の客観的な立場に立った報道がなおざりに されてしまう。
  国にしてみれば、事実の検証や客観的な報道をすれば混乱するから指揮系統に入れという考えで すぬ。その方が、平時の中で予測事態が迫っているとか、いろんな警報が出しやすいというわけで す。しかし、それが自然災害とは全く違う。武力攻撃事態法案が災害対策基本法と決定的に違うの は、報道機関が国の意のままになっていくということです。
梓澤 法律でいうところの予測事態に当たっているのかどうかということを、報道機関が自分の情 報で検証できず、さらに検証の権利と義務を奪われて、かつ日常的に飼いならされていく。まさに 報道機関が報道機関たりえないことになるわけでしょう。
  では、指定公共機関を返上したらどうか。法律の規定上、返上もできるけれども、実際にはでき ないと放送局は言っている。なぜなら、総務省に睨まれるからだというわけでしょう。
服部 そこで感じるのは、閣議決定された国民保護基本方針の中で、関係者の意見を求めるとある のだけれども、NHKも民放キー局も関係者がきちんと意見を言って指定公共機関となることを拒否 していない。ただ都道府県レベルでは、地方の指定公共機関になることをテレビ神奈川が断ってい る例がありますが、NHKとキー局が何も言っていないわけですから、関係者の意見を求めるといっ ても、大原則だけではなく連絡方法はこうですよといったノウハウの話にしかなっていない。
  それは精神の話になっていない。自由には蓋をしたまま、報道機関はどう滞りなくやっていくか、 広報機関としてどう機能できるのかという議論に参加するだけになってしまう。
梓澤 指定公共機関というのは非常にわかりにくい言葉であって、あまりにも話題にならなすぎる。 これは由々しき事態です。戦時の前倒し、戦時の平時化です。
服部 国は有事を回避する責務があるはずです。外交交渉やいろんな手立てがあるはずで、まさに 現在のように、日本が各国との間で孤立化を深め、日米首脳同士ぐらいしか良好な」関係がなく、 あとは不信感を買っているわけでしょう。そういう状況を作り出している責任というのをどう捉え るのか。そう思ってしまいます。
  メディアは平時こそ有事・戦時に備えて、いろいろな矛盾点を明らかにして一つひとつ潰してい かないと、平時の有事化のような状況を招きやすい。そして、自分たちはこういうかたちで報道す るのだといったことすら、我々の前に示されていない。国が言ってくるいろんなシステムが目に見 えてくるだけで、それがいったいどういうものになるのかも議論されていません。
梓澤 これから始まる国民保護計画、指定行政機関である総務省と放送各局の間に行われる協議を 密室から公開のもとに晒す努力をやってほしいですね。