人権救済機構(人権機構)について   梓澤和幸

〈目次〉
マスコミ学会ワークショップ「マスコミ規制とジャーナリズム」
法律時報特集「人権救済機関設置をめぐって」より
中間とりまとめに対する法務省への意見
法務省の中間とりまとめに対する日弁連への意見
法律新聞より(平成12年11月3日)


法律新聞より (2000年11月3日)

  10月5日、6日岐阜で開かれた日弁連の人権擁護大会で「国から独立した人権救済機構」が提案された。
  5日のシンポジウムでは実行委員会から人権機構設立のための法案要綱試案(以下要綱試案という)が、6日の大会には同宣言案が提案された。
  要綱試案には重大な問題があり、宣言案もそれを反映していた。白熱した討議の末、私を含む50名が修正動議を出した。
  協議のうえ採決には至らず、執行部修正となった。
  要綱試案と宣言案の問題点にふれ、今後の討議のありかたについて提言したい。

  要綱試案の第一の問題点は、人権機構に強大な調査権限を与えるとしたことである。
  人権機構は、申立か職権により相手方、関係者、参考人に出頭を命じたり、関係書類の提出を命ずることができる。関係場所に立ち入る権限も持つ。(要綱試案22条1項1号、2号) 出頭命令、文書提出命令違反は3万円以下の、立ち入り拒否は30万円以下の罰金を科す(要綱試案46条、47条)

  刑事罰であるから、刑事訴訟法が動きだす。命令に反して出頭せず、文書を提出せず、人権機構職員の立ち入りを拒否すれば、現行犯逮捕される。(刑事訴訟法212条以下、同217条の軽微事件の制限を受けないことに注意)
  検察官、検察事務官、警察官が現行犯逮捕に赴くときは、令状なしの捜索、差し押さえも出来る。(刑事訴訟法220条)
  例えば、労組の団交中に経営者側が、人権機構に訴え、機構の職員と警察官が現場に急行、関係者に出頭を命じ、拒否すれば逮捕、団交場所の文書のガサ入れというストーリーもあり得る。
  冤罪を訴える弁護士が警察官を特定して拷問の事実を新聞記者に告げ、紙面に掲載することはよくある。警察官の申立てを受け、弁護士、記者の逮捕、新聞社のガサ入れともなりかねない。
  村上重俊シンポ実行委員長はシンポのまとめで、同種の規定がある労組法、労基法では逮捕の事例はないはずと反論した。
  しかし、労働法と本件を同一には論じ得ない。刑法なら罪刑法定主義による構成要件の厳格さがあり、労組法、労基法でも法違反の実体は枠組みがはっきりしている。
  人権侵害という、フレームのはっきりしない実体で、刑事訴訟法が作動することの危険を十分配慮しなければならない。また軽い刑罰しかない軽犯罪法、旅館法、農地法などで濫用的な逮捕が行われている実体から見ても右反論は説得力に乏しい。
  要綱試案の第二の問題点は、行政機関による出版、報道の差し止めの可能性を残していることである。
  要綱試案には仮救済の規定がある。(要綱試案26条) 人権機構による仮処分に似た規定である。
  ビルマの難民が送還されれば、投獄、処刑される危険があると訴えたときなどは力を発揮するであろう。しかし、要綱試案26条には報道、出版の除外規定がない。検閲はこれをしてはならないとの規定があるが、教科書検定、ポルノ出版物の税関検査を検閲にあたらずとする裁判例からすれば、機構が事前差し止めをやらないとの保障はない。

  第三の問題点は、報道被害救済を国が設置する人権機構の管轄とすることである。
  昨年の人権大会では、権力介入を阻止するためにメデイア自身の自主的な報道評議会の設立をよびかけた。機構が報道被害をも取り扱うことはこの趣旨と自己矛盾である。
  シンポでは横山ノックのセクハラ事件被害者の映像を掲載した雑誌の写真を流したテレビの放送の弊害が、担当の弁護士から紹介された。しかし、この事例は報道の権力規制の必要性に結びつかない。
  事前なら裁判所の差し止め仮処分申請の方法がある。事後なら弁護士がテレビ局と厳しく交渉し、謝罪、損害賠償、を求め、達成できなければ訴訟の道がある。
  報道の権力規制はデメリットが大きいことも視野に入れなければならない。
  こんな例はどうか。

  有名政治家が首相になったときのために核兵器の開発政策を検討中だとしよう。情報を入手した報道機関の動きを察知して、これは名誉棄損で人権侵害だ、として、機構を使って事前差し止めをしたり、強制調査をさせ、圧力をかける危険性がありはしないか。

  第四の問題点は人権機構の独立性、中立性への疑問である。
  実行委員会メンバーは、機構は中立なもので、批判者がいうほど人権を抑圧することはない、とした。しかし、機構の委員は内閣の推薦委員会の推薦をうけ、両議員の同意を得て選出される。(要綱試案七条)
  時の政権、与党の影響は免れない。法律上も公正取引委員会、国家公安委員会のような独立行政委員会として作る以外の方法はない。
  国から完全に独立し、政治の影響を受けない機関を作るなどは幻想である。中立性をあげることでの反論は成立しない。人権機構の設立それ自体には反対しない。公権力の人権侵害を重点に取り組む機構をつくれとの、国連規約人権委員会意見の原点に戻ればよい。民間の団体や個人に過度に介入しないことにすればこうした危険性は防止できる。
  シンポと大会でこれらの問題点を主張した私達五十名は、宣言案から問題点を削除する修正動議を提出し、対決的な議論となった。
  これをうけて日弁連執行部は
1、公権力による人権侵害は当然対象とする、
2、報道ほか憲法の保障する人権の保障に配慮する、
3、民間への調査権限は慎重に検討する、
などとした修正案を提案し、大会はこれを採択した。
  法務省人権擁護推進審議会の、国から独立した人権機構に関する審議の中間報告は十一月二五日に出されるという。
  その内容は要綱試案と宣言をめぐる討論の中で出された論点に論及するであろう。
  人権に関する事項であるから中間答申に対する日弁連コメントの影響は決定的ともいえる。

  要綱試案が全国の弁護士の目にふれてから一カ月もたっていない。問題点についての情報が広がっていないため私達の主張を少数意見のように見るむきがあるが、弁護士の見識は要綱試案の危険性をみぬくと信じている。
  討論では反対意見の主旨を傾聴し理解するという態度が必要である。日弁連執行部は自由で科学的な討論の体制を作って審議会答申への日弁連コメントが歴史に耐えられる適切なものになるよう社会的責任を果たすべきである。