有 事 法 案    梓澤和幸

  ●目次
  資料  武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
      (2003年6月6日成立)
  有事関連法制問題の Point 〜ありそうな展開を予測しつつ〜
  戦争法 (有事法制) を勉強しよう!
  武力攻撃事態法案 〈全文〉
  武力攻撃事態法案 民主党修正案
  両立しない 「人道」 支援と 「軍事」 戦略




  元共同通信記者、現関東学院大教授の丸山重威氏の原稿を掲載させていただく。
  私はこの説に全部賛成なわけではないが、いまのイラクを考え続けることは、「法の支配」を貫く上で必須と考えるからだ。


米英軍の撤退か、国連関与の中断のどちらかしかない
両立しない「人道」支援と「軍事」戦略

◇国連を狙う 「意図」 は?
  バグダッドの国連支援団の本部が爆破され、デメロ代表をはじめ24人が死亡、100人以上のけが人を出す大惨事を引き起こした。国連史上最大の惨事で、国際社会は一斉に 「テロは許されない」 と声明した。トラックに積まれた爆薬が爆発したとのことで、アラ ブ首長国連邦の衛星テレビ、アルアラビーヤは、 「ムハンマド軍の先兵」 と称する組織が 、バグダッドの国連事務所爆弾テロに関する犯行声明文を同テレビに送ってきたと報じているし、米政府当局は 「フセイン元大統領に忠誠を誓う旧政権の残存勢力の犯行」 という見方だが、それは真実なのかどうか。
  「9.11は戦争を仕掛けたい米国の産軍複合体のヤラセだった。それが証拠に、飛行機を使った自爆テロは、何年も前に小説に書かれているし、ブッシュの父親と一緒に仕事を していたくらいの仲だったはず。実行行為者の身元がすぐ割れ、捕まったのは監視をしていた証拠」といった見方は 「陰謀史観」 と片づけられてしまっている。しかし、今回の爆 破事件が、デメロ氏は 「米国寄り」 だとし、国連が米国の 「侵略」 を既成事実として合理化する方向に動いていることへの反発なのか、それとも、国連と各国を 「反テロ」 で米国 と一体化させ、否応なしに国連を戦争に引き込むためのものだったのか、その性格は、そう簡単に結論が出る話ではなさそうである。

◇背景にある国連のあいまいさ
 米軍のイラク占領は、イラク国民の反発を買い、米軍はこれをもてあましている。もともと違法な攻撃であり占領なのだから、反発を受けるのは当たり前のことなのだが、 「戦争中毒」 の米国の産軍体制とブッシュ政権は、それを承知で突っ込んでしまった。既に 「戦争終結」 を宣言してから、米軍の兵士に60人を超す死者を出した。 「大量破壊兵器」 についての理由付けも、ウソに固められたものであることが英国で問題になり、国内には 「息子たちを帰せ」 の声が上がってきている。そこで米英にとって必要になってきているのは、 あれだけ袖にした国連のお墨付きだ。米国は国連決議をとって、 「米国寄り」 と言われながらも国際社会に信頼も厚いデメロ氏を現地に送り込み 「支援団」 を組織したが、占領体制はそのままだった。そこに矛盾があることは明らかで、事実この決議は、イラク攻撃を容認はしないが、 事実上現地の米軍主導の統治評議会を認めて支援することになってしまった。結局、犯行がどういう意図からのものであったにしても、米・英軍の攻撃を非難で きず既成事実に弱い国連のあいまいさが、この爆破事件の背景にある。

◇自衛隊派遣問題より先に考えること
 今回の事件の後、国連ではアナン事務総長が 「国連はイラクの復興から手を引かない」 と宣言しながら、同時に 「治安確保は占領軍の責任」 と述べたし、職員組合は 「イラクからの撤退」 を要求した。至極当然なことである。 米国が言うように、米英の 「イラク攻撃」 は 「人道」 のための手段だったのか? それとも、いまの国連の 「人道のための復興支援」 は、米国の軍事的・経済的優位確保のための 「道具」 なのか? 日本ボランティアセンター (JVC) もこの問題に関連して、 「イラクでは、基本的に戦争と戦闘のための組織である軍隊が 『人道援助』 に関与」 した結果、 「本来人道援助のための組織である国連/国連専門機関、国際NGOも、政治的色合いをもって受け止められ、攻撃されるようになってしまっている」 と指摘している。こうなれば、国連は全部引き上げて、米英に侵略の後始末をさせるのか、それとも米・英を全部引き揚げさせて、新政権樹立まで権限をすべて国連が握って、暫定統治していくのかどうか、のいずれか だろう。日本では自衛隊派遣が改めて問題になっている。当然である。これも、米英の攻撃と占領の是非を抜きに論議すれば、われわれは同じ問題を抱えるだけである。いったい日本は、国際社会は何をしようとしているのか、それを見定めなければならない。 「軍事」 と 「人道」 は両立し得ないのである。