国分寺景観訴訟    梓澤和幸

〈目次〉
申請書要約
要請文
エッセイ
意見書
水くむ人々
意見書2 (環境に配慮した基礎工法について)



水くむ人々 (2003年11月12日)
梓澤和幸  

  見上げると、ケヤキ、ブナ、ナラなどの広葉樹の高いところには、色鮮やかに変わった葉があった。 今日はこの間来た時より水は少ないか。でも湧水源から5メートルほどの段差のところからは、 流れる水がここちよい音をたてている。
  原告の樋口さんと待ち合わせて水をくみに来る人々にうったえて、訴訟への参加を呼びかけることにした。
  立川から自転車に乗って来ている青年がいた。背が高く胸がもりあがって、 いかにも体を鍛えているという感じだったが、いつも何か深いことを考えているような思索型の若者であった。 慎重に言葉を選ぶようにしながら、水と、自らの関係を語った。
  一週間に一度、土、日の朝来るのだという。参加を快諾してくれた。
  次は、小平と国分寺の市境から来ている高齢者であった。一心に語りかける樋口さんのことばに耳を傾けている。 背中は丸くなっているが、自転車のハンドルをしっかり握っていた。二人が話し合っている背景に、 真姿の池弁天の赤く塗った小さな島居とほこらが見えた。親子連れもいた。 小学校6年位の、手足の長い質こく敏しょうそうな少年と働き盛りのお父さんが自転車を2台連ね、 前後にたくさんのペットボトルを積んでいる。
  男性は温度計を何回か湧水の中にさしこんではかっていた。いつもこうして測っているのだという。 いつも緻密な思考を重ねている人は、それがどこか顔の表情に反映するのだ。
  「技術系の方ですか」と聞くと、よくわかりますね、というような表情をして「そうです」と答えた。 「いつもここの温度は一定で、16℃なんです」 というのだった。
  ボトルに水がたまると、父親の表情に戻り、短い言葉で少年に声をかける。 少年は大事そうにボトルを受け取ると、自転車の荷台にそれをのせた。
  微笑を浮かべてこの男性はしょうだくしてくれた。自転車を連ね、二人して帰って行く後姿を見送った。
  今度は若い女性が一人でやって来た。真姿の池弁天に長い祈りをささげていた。 この弁天は、ハンセン氏病にかかった古代の女性が祈りをささげ、清水で顔を洗うことで癒されたという言い伝えである。 もしかすると、何かの悩みをもっていらっしゃるのかもしれない。少し見守っていると、あっという間に姿が消えた。 あれ、いまのは幻影だったか。
  とまどっていると、池の水中に浮かぶ赤く鮮やかに色の変わった葉が目に入った。 すると女性はまた社の前にあらわれた。社を一回りしたようだ。 くんだ水を自転車につんで、これから去ろうというときに声をかけると、今日は多忙だといって唆拒された。
  だが目に力をこめて女性はこう言った。
  「この水は、私にとってかけがえのない物ですから。」
  このことばは、こちらのアピールに符丁を合わせるというような受身のものではなく、もっと決然とした、力のこもった言葉であった。 この人が生きて行く上でどうしても欠かせないもの、というような切実な響きの言葉であった。
  8時を過ぎるとひっきりなしに、入れかわり立ちかわり、水汲む人が続く。 その中に、がしりとしたちょっと小太りの体躯の中年男性がいた。 ざぶざぶと小川の中を歩いて湧水に近づくと豪快なしぐさで水をたくさん汲み、 こちらには、「ちょっと待って、いま運んでくるから」 ということばを何回もかけて、 くりかえしポリタンクに入った水を車のところまで運んだ。
  警戒心を浮かべていた表情を少しなごやかにすると趣旨に賛同して下さった。 付近の家の前を通ると、焚き火の前に座って手をかざしながら何か話し込んでいる姿と声が聞こえた。 法律は権利という側面から現実を見ている。事情をはるかにこえた、事実と歴史の重さが、私たちの向こう側にある。 この男性のがっしりとした体躯から出て来る太い声のことばに、私は、初心の頃に戻ったような、新鮮な心の動きをおぼえた。 武蔵野の台地に降り注いだ水は、樹木の葉、幹、根にいったん蓄えられ、のちに土俵に浸透し、関東ローム層から砂礫層に到達する。 長くかかって形成された崖線にしみ出して昔はいたるところに、湧水と清水があった。 西暦750年に武蔵国分寺が創建されるとき、この湧水が、建築デザインのポイントになったという。 南に国府(府中)をのぞみ、崖線の線と湧水を背景に、壮大な寺のデザインが出来たのである。 現代もまた地球と人類の壮大な歴史からみれば、湧水は水とともにあった人々の歴史を、私たちに語りかける。
  水を汲む。水汲む権利を力強く説得力をもって構成する責任が、法律家である私たちに課せられているのだ。